もう一度自分の感覚を大切にしてみたい
HSPな私のやる気スイッチ
別にこれまで自分の感覚を大事にしてこなかったわけではない。
ただ…ほぼ完璧なHSPな私。
自分の感覚を余すところなく、自分の手の中におさめながら全て大事にしようと思うと、お釈迦さまレベルの、大きな大きな手のひらが必要な気がしてしまう。
自分のこの小さな手のひらでは扱いきれないと圧倒されてしまって、これまで感覚の一部がこぼれ落ちるのを眺めてきたし、手のひらにのせないようにもしてきた…と思う。
だから、大切さはわかりつつ、自分の中から湧き出てくるものの多くを素通りさせてしまってきた。
いまさらながらにそう思う。
特に小さい頃はやり過ごすしかなかったこともたくさんあっただろう。
大切に扱ってきたとはいえない私に、今一度、自分の感覚を大事にしてみよう、とやる気スイッチが入りつつある。
嗅覚って不意打ちが多いかもしれない
なぜ今やる気スイッチが入りつつあるんだろう?
最近のnoteの記事で、〝フレーバー〟とか〝香ばしさ〟とか、嗅覚に意識がいく言葉をたくさん使ったせいだろうか?
確かに嗅覚は、私にとって今回の鍵かもしれない。
私たちの持つ五感の中で、インパクトが強いのはおそらく視覚だ。
視覚の場合、意識してその感覚器を使っていることが多い。だから、視覚情報として入る前には心の準備が出来ていることがほとんど。
見てしまった、視界に入った、ということはあるにはあるが、見るものの大半は予測出来ていたり、意識的に見ているものがそれなりに多い。
一方、嗅覚は不意をつかれる確率がとても高いように思う。
嗅ぎたいと思って嗅ぐより、意図せず嗅いでしまった、という機会が日常では多い気がする。
他の五感にしても…例えば聴覚ならば、聞こえてしまったということは多い一方、同じぐらい、自分が聞きたくて聞いている話や音もたくさんある。
つまり、嗅覚って、五感の中では不意打ち率高めな感覚なのだ。
不意打ち率高めな嗅覚だからこそ、そこから得られる、自分にとって意外な感覚。そして、意外な感覚を感じ取った自分との新たな出会い。
最近マスクを外す機会が圧倒的に増えた私に、そんな出会いが続いている。
もっと新たな自分と出会いたい。
それが今の私のやる気スイッチの源。
結局私はどうしたい?
不意打ち率高めな感覚に対する興味関心が続いたとき、時折不意打ちで得られる新たな自分発見に対する面白さを味わってしまった。
私はもっと変わりたいたいんだと思う。
いまだ見落としていた、未発見の自分と出会うことで。
いや、変わるというより、脱皮する、がより合った表現かもしれない。
元の自分があるから次の自分もいる。
そんな体験がしてみたい。
そんなステージにいる気がする。
今の自分に出来ること。
それはおそらく、自分の感覚をもう一度大事に扱ってみること、なのだ。
今までこぼれ落としていたものをかき集めてみる。
いま自分の中から湧き上がるものも余すところなく使ってみる。
そうして、もう一度自分を組み立てたなら、今とはずいぶん違う仕上がりになる気がしている。