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ジブン物語を紡ぐとき
いつもジブン物語の途中。
だから、どんな物語か?は最後までいかないとわからない。
自分の人生物語には、一体何章あるだろう?
何章で完結するのだろう?
どんな物語って言えるだろう?
それは今この瞬間もジブン物語を紡いでいる誰もがわからない。
確かなことは、私が手にしているのは他の誰でもない自分の物語だし、日々紡ぐ一章一章、どの章を省いても、ジブン物語にならないっていうこと。
途中まで進んでみて、気になってジブン物語を読み返してみても、
何を言いたいのか?
どんなメッセージが横たわっている物語なのか?
なかなかわからない。
わかりそうでわからない。
確かに自分のいいように解釈してただ進めればいいのかもしれない。
そういう考え方を自分の中で採用しているときもある。
それでも、特に、子どものころ背負ったものの重さ、影響の大きさを見出して圧倒されそうになるとき、自分で、ではなくて、自分以外のどこか誰かから教えて欲しい。そう請いたくなるときがある。
なんのために毎日少しずつ紡いでいるか?
いつまで続いてどんな物語になるのか?
ただ知りたくなるときがある。
知りさえすれば、最初の何章分かのキツイ物語の意味がわかったなら、楽になる気がするから。もっと違うところからエネルギーが湧いてくる気がするから。
だけど…
物語を紡いでいる途中で、その答えがはっきりくっきり見えてくるなんてことはやっぱりないんだと思う。
これから進んでいくうちにじわじわとわかってくるのだろうか?
そういえば…
なんとなく先が見えてきて、ジブン物語の流れや意味がわかってきたように感じることが最近たまにあるように思う。
わかってきたように感じる。
その感覚をキャッチ出来るのは、他でもない自分。
たまに答えを求めて探し回りたくなる〝自分以外のどこか誰か〟すらも、自分の中にあるのだろうか?
だとしたら、その発見や気づきのための営み、つまり自分と向き合うってことはそれほどまで深いことなのかもしれない。
そんな紡ぎ人の私に今大切なこと。
それは、ただ日々紡ぐことに疲れそうなときは一息つく。
進めるとき進む。
そうして一章一章重ねていく。
ジブン物語が完成するその瞬間まで。