通知バッジを消したら、スキマ時間が出来た
自分に負担がかかっている。
そう気づいたからには負担を減らしたくなる今日この頃。楽にならなければ、といろんなことを試そうとする。
今の自分の環境は完全に情報過多。いろんな意味で。だから、部屋の片付けとか、とにかく何か手元にあるものを減らしている。
通知バッジ。
新着メッセージが届いたとき、アイコンの右上に表示される、赤丸の数字だ。
この通知バッジを、先週からオフにしてみた。
以前、もっと早めに把握していたら…と思う出来事があって以来、スマホでも仕事関連メールを随時チェックできるよう、通知バッジをオンにしていた。結果として、頻繁に入ってくるメールを年中チェックしていて、そのことでいつも頭がいっぱいになっていた。
もちろん最初は自分で決めて通知バッジをオンにしていたんだけど、いつしか自動反応して、見たくなくても見てしまっていた。
いや、見たくないのにみる。見たいからみる。どちらもあったと思う。
見たあとひっきりなしに頭が考え続けていることの辛さ。一方で、メールを確認して状況を把握出来たことでの安心感。
その両方が同居していた。
そんなシチュエーションが続く中、通知バッジが視界に入るたびに次第に気持ちが落ちてきていた。イライラもした。気づいたからには何とかせねば、と思いついた策が、通知バッジを消すことだった。
実際、通知バッジを消してみたら…
いま自分がメールを見たいか?見たくないか?
自分自身にそう問いかけるスキマ時間が出来た。主導権はあっという間に自分の手元に戻ってきた。
開かない限りメールがきているか分からない。もしかして来ている?と気になったときには、一呼吸して、今本当に必要なこと?負担にならない?と自分に問いかけられた。そうしたら、かなり楽になった。
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「自分はどうしたい?」
この声かけがまだまだ足りない。そう思う。
「どうしたい?」
一見なんてことのない声かけだけど、自分自身をいい状態で保ち続けるために大切な言葉。
この声かけをするのは、実はかなり難易度が高いと思っている。私のように、育ちの過程で親からしてもらう経験のなかった場合は特に。だから、大人になって自分でやらなくちゃいけない。そう思い始めてから長い。
私はメールチェックをしたい?いつしたい?何でしたい?どうありたい?
今回そう自分に問いかけて通知バッジを消した。本来の自分のリズムに戻った。ひとつ実行してまたひとつ。いつもほんの少しだけど、昨日よりも今日、声かけが上手くなった自分を見つけては喜んでいる。