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歩きやすい渋谷、茶亭羽當と相米慎二

2025年1月2日。平時よりずいぶん人の顔が少ない視界は、いくらか歩きやすい気がした。

渋谷の街並。歩行者が比較的が少ない様子。

ときどき足を運ぶ喫茶店に少し寄って、今年1冊目の本をめくったり手帳に新年の抱負を書きつける。ゆっくり淹れるハンドドリップコーヒーを待つ時間は、豊かだと思う。

隣に座ったラティーノが、視野の端でペンを動かしている。どうやらシフォンケーキとコーヒーカップをスケッチしているみたいだ。同じ紙の隙間は、のちにスペイン語の文章で埋められていった。

彼も抱負を書いたのだろうか。あるいは、「おいしい」というようなことを書いていたのだろうか。

ぼくのところにもコーヒーが届く。ちょうど読み終えた本を閉じ、きめ細かいホイップクリームの乗ったチーズケーキと熱いブレンドコーヒーを味わい終えたころには、これもちょうど、上映時間が近づいていた。

喫茶店「茶亭 羽當」の外観。

苦手なエレベーターだが流石に乗って、6階分のビックカメラを飛び越えると、きれいな内装の映画館が心地よい薄暗さで待ち受けている。

「Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下」のロビーの写真。

いつも通り、並べられたフライヤーを数枚カバンに入れてから、チケット代わりのQRコードを端末にかざし、——なんと呼ぶのかいつも迷う、スクリーンのある部屋の——中に入る。

ここは中央に通路があるからいい。スクリーン正面かつ端の席、という快適な鑑賞環境が実現する。当然それに合致する席を確保して、2本の映画を続けて観た。

相米慎二監督は、53歳で亡くなった。そのとき小学生だったぼくは、彼のことを知らなかった。

のちに『台風クラブ』を、配信サービスを通して自宅で観たことがある。まだ映画を観る習慣もついていない頃だった。刺々しくて観念的だなあと感じたことは覚えている。

今回リマスターされ映画館でかけられている『お引越し』や『夏の庭 The Friends』については、ものすごくよく目にするメインビジュアル以外には何も知らなかった。昨年末に予告編で目にした数カットがあまりに魅力的だったから、この機会に観てみようと思った。

上映がはじまるやいなや、画面の力に圧倒された。そしてその感覚は部屋が明るくなるまで続いた。構図、カメラワーク、人物の配置とその動き。すべてが終始、説得力に満ちていた。

その映像美を通して語られるのは、いずれも「生」と「死」についてであった。描かれるものは淡々としていながら、同時に情動に溢れていた。

エレベーターではいつも上を見上げてしまう。目の高さにはたくさんの顔があってこわい。6階分のビックカメラを、その姿勢でやり過ごす。

外は暗くなっていた。せっかく渋谷の空いた珍しい日だ。もう少しうろうろしていこうかしらなどと思いつつ、おせちやお酒の残りが待っているからと——もちろん道に迷いながら——駅へ向かった。

例によって人の少ない電車には、一組の親子が並んで座っていた。父が子に、自分のスニーカーを自慢している。小さな人はあまり興味もなさそうに、しかし丁寧に相槌を打っている。

大人も子供も、人はみなおそらくときどき、生や死を意識しながら生きていることだろう。

映画や文学作品においては、しばしばその概念が強調される。だけど日々を平穏に過ごすためには、できれば考えずにいたいものだ。

渋谷に人が少ないことを意識するのは、死の匂いがする。エレベーターの天井も同じである。

ケーキとコーヒーがおいしい。スニーカーがかっこいい。そんな感情を愛でていたい。

生きることや死ぬことに想いを馳せたいときがあれば、そのときは映画が、代わりによろしく。

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