自分の時間を生きられるようになってきた
昨日の記事に書いた音楽合宿にて、自分の時間を生きる感覚もわかったような気がします。
言い換えると、自分に合ったペースで過ごすとか無理して周りに合わせないという感じです。
例えば会社で働いていると、会社が決めた時間に合わせることを求められると思います。
「〇時までに出社しなさい」
「会議は〇時から。遅れないように」
といった感じで。
部活を中心に生きていた学生時代の私も、時間が厳しく決められた環境で生活していました。
時間は守るものという教えを疑うこともなく、遅れるのは悪という価値観を持っていました。
みんなに時間を守るよう言わなければならない立場なのに、私は時間を守るのがものすごく苦手で、遅れるたびに「自分はなんてダメなんだ」と自己否定をしていました(否定したところで守れるわけでもないんですけどね…)。
就職後は、ますます時間に対する意識が強くなりました。
・社会人としてあるまじき行為
・周りに迷惑がかかる
・責任感が足りない
などといったフレーズが常に頭にあり、「絶対に遅れてはならない」と常に気を張っていました。
今思うと、自分が心地いいと感じる時間の捉え方を完全に無視し、外側から要請された通りに過ごすなんてとても不自然。
そもそも時間という概念も、人間の都合で生み出されたものなわけで。
自分に合った時間の捉え方を知らないまま一方的に合わせるだけの生き方は、そりゃ苦しいよなと思います。
自分にとって譲れないものを知った上で、他者との落としどころを見つけられるのが理想なのかもしれません。
ようやく本題です。
音楽合宿にて、私は
・遅れて参加
・一日目の夜に帰宅(一泊二日)
という過ごし方をさせてもらいました。
主催の知り合いの方がとても優しく、柔軟に受け入れてくださいました。
なぜこうしたかというと、朝は「時間を守らなきゃ」というプレッシャーで苦しくなり、動けなくなったからです。
会社員時代の時間に対する恐怖感のようなものが、まだ消化しきれていないんだなと痛感しました。
そして夜は、心身のキャパを考慮しての判断でした。
あまりに楽しくて本当は最後までいたかったけれど、いくら楽しいとはいえほぼ全員はじめましての環境です。
無自覚に疲れをためているであろうことは、さすがの私も学びました。
名残惜しさはありつつ、自分のキャパを過信せず早めに切り上げることも大切だと考えました。
私としては、このような判断ができたのは結構すごいことです。
昔の自分は疲れに無自覚で、その場の楽しさで麻痺していることがよくありました(あれはあれでどうにかなっていたような気もするけれど、持続可能な生き方ではなかったんだろうなぁ)。
それに、「せっかく誘ってもらったから」「他の人より先に帰るなんて」というように、判断基準はいつも外側にありました。
そんな私が、周りがどうかは別にして「自分はどうしたいか」で考えられていました。
それができたのは、ここ数年自分と向き合ってきたことも大きいと思います。
でもそれ以上に、主催の方や参加者のみなさんが自分を持っていて、お互いに相手の考えや選択を尊重する空気があったから、私はあの選択ができたのだと思います。
しかもイベント後、誘ってくださった方が「ゆめちゃん自身のことを最優先にしたスケジュールで参加してくれてありがとう!」とまで言ってくださり、もう嬉しくて嬉しくて…(; ;)
こうした選択の積み重ねが自信に、そして自分を尊重する生き方に繋がるのだと感じました。
他人の時間じゃなく、自分の時間を生きる!
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