カサンドラ症候群と家族理解
今の私は、自己理解ならぬ家族理解に強い関心があるのかもしれない。
今の私にとって、家族を理解することが自分を知ることと密接に関わっていると感じられるから。
今日は、ブックオフで偶然出会い、気づけば手にしていたカサンドラ症候群に関する本を読んでいました。
(図解版もあった!)
細かい内容も取り上げたいのですが、全体を通して私が強く感じたのは、「そういうことか~」ということ。
カサンドラ症候群は、一般には夫婦間(特にアスペルガー傾向のある夫を持つ妻)に見られることが多いけれど、配偶者やパートナーだけでなく、子どもや同僚など、その人と深いかかわりを持たざるを得ない人にも同じようなことが起こりうるそうです。
私が自分のことをより知るには、カサンドラ症候群に関する知識がとても役に立ちそうです。
私の父は、アスペルガーの可能性が高いと思います。
診断をしたわけではありませんが、本に出てくる実例の中には「わかる~お父さんとすごく似てる!」と思うようなエピソードがいくつもありました。
父をアスペルガーと仮定すると、今までの理解できない態度やこだわりに説明がつきます。
悪気があったわけではなく、特性による必然的な振る舞いだったのだと。父には父なりのロジックがあってのことだったのだと、少しずつ理解できてきました。
それと同時に、だからといってこれまで私が負ってきた傷をなかったことにする必要もない、とも改めて思えました。
全面的に父を許さなくちゃいけないわけでもない。
ただ、過去を冷静に見つめるためには知識が必要で、父側の見え方も理解する必要がある(かはわからないけれど、私は理解したいと思う)。
自分の家族について、少しずつ見えてきたような気がします。
アスペルガーと思われる父、ASDの兄、思っていたより共感力に乏しい母。と、私。
自分の中の重たい蓋が、開こうとしているような気がします。
開くの怖いなぁ…見たくないなぁ…
とも思うけれど、遅かれ早かれ向き合うことになるのなら、今向き合いたい。
“向き合う”が今年のテーマだから。
続編をお楽しみに(?)
▼カサンドラ症候群に関する過去の記事です。よければ併せてご覧ください!
────────────────────
『深い雑談』というものをやっています!
私がnoteで書いているような話は、そもそも人に話しにくかったり、話したところでわかってもらえなかったり…
家族すら、もしかしたら家族だからこそ、私が感じている苦しさやもどかしさを話しても伝わっている気がしない。それがすごく切なくて。
ずっと、私の感覚をわかってくれる相手を探していました。
わかってほしい、理解してほしい。同意はしなくていいから、「ゆめはそう思うんだね」って、ただ私の考えを尊重してほしい。私の感覚が伝わる相手がほしい。
学生という枠がなくなって、世界がちょっとだけ広くなったことで、感覚が伝わる人と出会えるようになりました。
もちろん、完全に同じ人なんていない。でも、自分にない感覚の話を、「そういう感覚もあるんだ」とわかろうとしてくれる人がいる。そのことに、私はすごく救われました。
自分の感覚は間違いじゃないんだ、自分は自分の感覚を信じていいんだって、思えるようになりました。
私も、誰かにとってそんな存在になれたら。
私が日々考えていることを言葉にすることで、似たように日々考えている人が「この人となら話せるかも」と感じるかもしれない。そして実際に話してみて、自分の感覚を誇らしく思えたら。
なんかもう、すごく嬉しいなって思うんです。
なかなか自分の感覚が伝わらない、でも誰かにわかってほしい。そんな気持ちを抱えていたら、ぜひ一度お話ししませんか?