学校を早退するのが好きだった
学校は好きだった。
好きだと思ってた。
でも今思うと、結構しんどかった。
頭が痛くなることが多くて、よく保健室に行ってた。
保健室が大好きだった。
でも1時間しか休めない決まりで、授業に戻るか帰るかしかなかった。
帰らないといけないほどじゃないけど、戻るのはしんどくて、しょっちゅう早退してた。
授業と授業の間、みんなが休憩してる中私は荷物をまとめて教室を出る。
優しい人たちだから、心配してくれる。気にかけてくれる。
帰るところを見かけて、「大丈夫?」って連絡してくれる人もいる。
あたたかくて、優しい人たち。
でも、なにかがしんどかった。
平日の昼。からっとした青空。
早退するときに乗る電車が大好きだった。
電車から見える景色も、電車の中の光景も。
制服を着た学生もスーツを着た大人もいなくて、小さい子どもとお母さん、おじいさん、おばあさん、、、
穏やかで、のどかで、静かで。
ずっとこの空気に包まれていたいなって思ってた。
今も思い出しながら戻りたくなってる。
変な話だけど。
悪いことしてるような気がして、具合が悪そうにした方がいいかな、とか考えたりもしてたけど、早退すると決めた瞬間から私の気分はすこぶる快調。
あれ、なんか就職して適応障害って診断されたときと似てるかも?
会社から離れれば結構元気。
身体はぴんぴんしてるから、まるでサボってるような気がしてくる。
でも会社に行くことを考えた途端、全身がいろんな形で訴えてくる。
「むり!」「やだ!」「行きたくない!」
頑張って働いている人からしたらわがまま言ってんじゃないって思うかもしれないけど、わがままでも甘えでもないんだよなぁ、、
むりなもんはむりなんです、、、
誰かにとっては頑張ればどうにかなることでも、別の誰かにとってはこれ以上頑張っちゃいけないことだったりする。
先月の自分にはできたことが、今の自分には難しいこともある。
誰しもできることは違うし、日々変わっていく生き物だから、他の人と同じ基準で、常に同じパフォーマンスを発揮するなんてむりな話なわけで。
話が逸れた。
友人と対話している中で、私って実は学校苦手だったのかもなって思い始めた話でした。
(私は日常の中の会話が対話みたいなもので、日々新たな気づきや解釈の変化があります。学校に対して感じていたしんどさとか、会社のことを考えたときの苦しさを思い出すのは痛みを伴うけど、避けたいとは思わない。むしろ、対話の中で解釈がガラッと変わることで、今までとちがった世界が見えるようになる感覚があって、それがすごく楽しいんです)
ちなみに学校のなにが苦手だったのか、ひとつ思い当たることを挙げると、情報量が多すぎる!!ということ。
“教室で授業を受けているだけ”という感覚の人もいるかもしれないけど、私にとっては40人近い人が狭い空間にいて、各々生きている。考えている。動いている。
私にとって「授業だけに集中しなさい」はとてつもなく難しいことで、「斜め前の席の人疲れてそうだな」とか「先生困ってるな」とか「あの人髪切ったな」とかいろんなこと考えちゃう。
視界に入ってくるものが多すぎる。
しかも校舎がプレハブだったから、廊下も、向かいの教室も丸見えなわけで、動くものには目がいくわけで、常にいろんな情報を処理してた(今思うとって話で、当時はそんな自覚すらなかった。なかったから遮断しようもなかった。ただ目から入る情報を脳に垂れ流す毎日。そりゃ疲れるわ)
とまあ、書き出したらどんどん出てきそうなのでまたの機会に。