“なんて声をかければいいかわからない問題”について考える
先ほど歩いていたら、おばあさんがゴミ置き場の扉を閉めるのに苦戦しているようでした。
ちょうどその横を通りかかるところだった私は、「なにか出来ることをしたい」と思いつつ、なんて声をかければいいかわからず一瞬躊躇いました。
この「気持ちはあるけどなんて声をかければいいかわからない問題」って結構あるなぁと思います。
電車で席を譲るときや、知り合いを見つけたけれど向こうが覚えているかわからないときなども、似たような感覚になります。
「なんて声をかければいいかわからない」のはなぜかを考えてみると、私の場合はいろんなことを考えてしまい最適解がわからなくなるからかなぁと思います。
今回のおばあさんの件でいうと、
・私がなにかしなくてもすぐ解決するかも
・わざわざ手伝うほどのことじゃないかも
・どういう状況かわからないから何をすればいいかわからない
・声をかけて何もできなかったらどうしよう
・手伝われることを求めてないかも
などなど…
私はネガティブな想像をしてしまう癖があるようです。
でも一方で「なにかしたい」と思うのは、これまで「ありがとう」と言ってもらえたことがたくさんあるからだと思います。
結局どうしたかというと、
「なにかできますかね?」
と言いながら、一緒に扉を閉めました。
この声のかけ方がベストだったかはわかりませんが、迷って声をかけられなかったときの悔しさを思い出し、「なんか言っちゃえばどうにかなる!」と思うことにしました。
結果的に「助かりました、ありがとう」と言ってもらえたので、引き続き難しく考えずに声をかけていこうと思います。
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