人生は競技ではなく、エゴなアートだった
いらないステータス達
私はずっと人生は皆、違う競技をやっているんだと認識してた。お金が好きなら収入を、名声が好きなら権力を、愛がは好きなら家族を、そういった各々のステータスを高めるゲームを楽しむもんだと、そう思ってたがどうやら違うらしい。
生み出されるラベル達
今の世の中は生きにくい。息苦しい。収入や世間体、フォロワー数、いいね、チャンネル登録者数、地位、職業、学歴、性別、出身、国籍、人種などラベルが貼られる。最近は特に、何でも数値化されて確認できる。意味なんてないのに。逃れることはできない。
勝てもしないし、終わりもない
ラベルを貼られると競技が始まる。そりゃみんな優れていた方が安心だし、心地が良い。だけど、それって残酷だ。みんな与えられたものが違うのに、同じような競技をやらされる。勝てもしないし、終わりもない。皆が金メダルを取れるわけもない。つまりは、永遠の勝てない戦いに巻き込まれている。
数字とラベルは捨てる
では、どうすれば良かったのか。「競技」を辞める。「アート」を始めるのだ。誰の評価もない、エゴなアートを。数字やラベルは今から全部チャラ。自分が満足してるかだけで判断する。とても簡単でルールなんか無い。衝動のままに生きれば良い。
在るが儘でいい
それすら辛い人へ。何も考えなくていい。何もしなくていい。自分以外の評価を気にしなかったらいい。上を目指すから辛いのだ。上の下もない。在るが儘でいい。鬱屈としたあなたの心が少しでも晴れたなら、私はこの文を書いて良かった。そこに優劣はない。私のエゴだ。
以上の内容は『自分の中に毒を持て』(岡本太郎著)にインスパイアを受け自分なりの言葉に消化したものだ。この思想の深みを知りたい方を是非読むことをお勧めする。
あまおかが鶏肉ではなく牛肉で、ちょっと贅沢できます!