心霊コラム 地図に載らない神社
鳥居の根本が腐食により倒れてしまったままの状態で放置され続けているとある神社がある。
この神社は全国心霊マップ様にも心霊スポットとして記載されているが、個人として可能な限り調べていった結果、次第に答えが見えてきた。当該記事では私個人の憶測かもしれない可能性もあるので、私の話すことは必ず正解ではないということを前提に読んで頂いた皆様がどう思われたかを改めて問いたいと考えている。
なお、同名の神社があるため名前は伏せて紹介するが、どうしても気になる方は過去アーカイブを見て貰いたい。
当記事で紹介する神社は神社本庁への登録もなければH県の宗教法人名簿にも登記がないことから判明している。
はじめて目の当たりにした光景を今でも思い出す。
倒れた鳥居の前を通過しようとした際に本殿左脇に位置する廃屋から複数名の誰かがしゃがみ込み覗き込んでいた。このとき、神社だからこそ救済を求め迷い込んだ御霊達がいつか存在に気づいてほしい想いから、可視化して現れた。言わば、浮遊霊の一種とばかりに考えていた。
鳥居を通り過ぎ、神社の本殿をみた瞬間に左側に設置されてある左側の狐と目が合ってしまった。
その瞬間に鋭い眼光で見られたのをはっきりと覚えている。訪れたのが夜だからという可能性も決して否定はしないし像だからこそ個人の解釈でそう見えたのかもしれない。前述した、複数名の御霊達の件についてもそう見えた、という思い込みの可能性も考えられる。
ではなぜ何故何故の追求を行うためにも境内には入らなかった理由についてだが、本殿にはあまり近づきすぎないほうが賢明だろうという、当時の私なりの解釈があった。
これから話すことは霊の存在を信じる方ならびに懐疑心をお持ちの方でも、どう考えるのか色々と考察をして頂きたいので、私が見た世界をありのままに話していこうと思う。
【最初に訪れたときに目の当たりにしたもの】
倒れた鳥居を見て、まず参道から本殿の様子を伺うのは難しいと判断して鳥居を通り過ぎ参道の脇から本殿まで辿り着くルートがあることを確認した。
私は改めて本殿を見た。
訪れた際に、扉のカーテンがあるのだがまるで私の存在に対して気づかれたくないのか扉越しからこっそりと誰かが覗いては隠れたりを繰り返し行う様子が垣間見れた。ひょっとしたら、幽霊以外の見ては宜しくないものがあの場にいた可能性もありうる。
だとしたら、この廃神社は心霊スポットとして掲載すべき場なのかどうか非常に危ないと思われる。
後日撮影に訪れた際には人の存在は確認出来なかったが、散策をしていて気持ち悪さを感じたのは本殿左脇の廃屋の玄関から本殿の扉までの動線があり先程まで誰かが行き来をしていたかのような、人肌の温もりを感じた。
亡くなられた、とされる管理主が今もなお神社が気掛かりで成仏することが出来ずおりては生前に行っていたときと同じように神社の管理をやっているにしても、生々しい今先程まで人がいたかのような、それは私が入り込んだことによる人肌の温もりの可能性も指摘できるが、私は本殿と廃屋を何度も往来はしていない。
つまり、誰か意図的に訪れているのだとしたら、私が最初に見たのは幽霊ではなく人間である可能性も推察することができる。
最初に訪れた際に念の為に石仏群を撮影した。
因みに石仏群については、昔からあるものだとたまたま声をかけて頂いた地元の方から聞いた情報を話す前に、こちらの場所もあわせて紹介する。
酒番さんが主催される座怪にて、ゲストの心霊屋ドット・コムの藤井さんが訪れた後に改めて祠について調べたそうで、藤井さんの調査結果では四国に関係しているとうろ覚えではあったが、この祠は四国と関与しているのは後の調査で明らかになる。
四国との距離が近いH県ならではの事情があるのだろうと推察できるが、実はあげた画像は四国八十八ヶ所で回る霊場として指定されている寺院で祀られている御仏様が祀られてある。
地図に載らない神社にあった祠には何番なのかの数字が刻まれている辺りからも、我々は鳥居があるからここは神社だと思い込みだけで近くにH神社があるから勘違いをして、H神社だと考えられてしまった可能性のほうが高いと推察できる。
鳥居の作りから見て、稲荷信仰の神社特有の朱塗りであることからも恐らくだがある寺院Bの中に当該神社があり、管理される方が逝去されたために神社だけが残った可能性が考えられる。
地元の方が教えて頂いた情報を話すと、八大龍王の社をはじめ、神社を除いては大昔からあったといい地元の方が小さかったときにはよくお詣りしていたと話して頂いた。その際は石仏群の管理をされる方がいたようだが、病気で逝去されてからは誰も管理されなくなったところで後から神社が出来た。
神社をつくった宮司が代わりに石仏群の管理をされるようになるが、宮司も逝去されてから誰も管理する人間が再び居なくなっという。
つまり、石仏群含め、正式な手続きを行わないまま宗教施設がつくられた可能性が高いということ。
酒番さんが話した、石仏群の名称から滝行が行われた可能性の話をしていたので、視野に入れ地図を調べてみるも、辺りは河口堰しかない。仮にもし滝だった場所を河口堰にしたとしても、工程面において難しい技術を要求されるだけでなく莫大な費用がかかるだけであまり現実的ではない。つまり、滝行が行われた可能性はボツになった。
ではなぜ、四国八十八ヶ所の霊場の御仏様がこの地で祀られ、石仏群の意味については一つ一つの石仏に祀られている仏様を調べねばらならないのだが、仮にもしこの地が神社でかつ八百万の神々で山に纏わる神様の可能性が考えられる。
実は神社ではなく、寺院だった可能性が高いと分かった。座怪の際に話して頂いた心霊屋ドット・コムさんが神社の境内の中を映像撮影時の際に現地では一切聞こえてこなかった喚鐘の音が鳴り響いた説明も、頷ける。何かしらの理由あり、寺院から神社にしなければいけなくなったのだとしたらそれは後継者がいないためではない。
前述したが、寺院だったときも、仏教には数多の宗派があるのでどの宗派に在籍していたかは全く資料がないため不明だが、ちゃんとした寺院ならば信仰する宗派に登録する手続きは行う。由緒ある寺院ならば、後継者がいない問題に直面したら宗派に在籍する若い僧侶に後継ぎをさせるなど行う。
ところが行われず、寺院の本堂だった場所が神社になってしまったものだと考えられる。
だから、神社の作りとしておかしかった。
本来、神社は鳥居から見て祭壇に祀られている神様が外からでも見えるような作りになっており、かつ鳥居を潜るとオープンな形で参拝客に対して見えるようになているのが神社の最大の特徴である。
某神社は、作りが寺院のようだ。
寺院は本堂に辿り着くまでが修行と考えていて向かうまでに本堂の祭壇の様子を伺い知ることは出来ない。本堂へ近づき、祀られている観仏様を見てやっと辿り着いた=修行の苦しみからの解放というのが私がお詣りしてきた寺院に共通する特徴だが、某神社は鳥居の外から本殿の様子を垣間見る事も出来なければ、本殿にはカーテンがあり必要に応じて目隠しが出来るようになっているのも不自然だ。
そこが…まるで人目を避けるのが狙いとも考えようによっちゃ考えられるわけだ。
某神社は車では決して辿り着けない。何処か、安全な場所に停めてから徒歩で向かうしかない。そこが刑法に触れるようなことを行うことを前提とした取引ならば、某神社は良い隠れ蓑にもなる。私が散策して気持ち悪さを感じた気配もひょっとしたらと考えたら、悍ましさしかない。
ただいまは、憶測で話すのは宜しくない。
個人が生み出した憶測があらゆる方向で悪いと解釈され、攻撃されるようなことがあってはだめだ。
あくまでも個人の推察でしかない。
当事者でなければ悪い噂やデマがこれでもかとばかりに露わになり、正しい情報かどうかの調査がされないままネットやSNSで拡散されてしまう。
特に最近はマスメディアを多いに賑わせている元SMAPの中居正広氏の芸能界引退についても、被害を受けたとされる女性の正体を掴もうとユーチューブでは、誰が被害を受けたか合戦。
CXの港社長の最初の会見は墓穴を掘ったで賞。
あれはだめ。報道機関ならば、カメラを入れない時点で論外。在籍していた女性社員が被害を受けていたと認識しつつも女性社員のことを守らない姿勢を港社長が見せたのは宜しくない印象を世間や企業に対し植え付けたのは間違いない内容だった。
そのことについて、ああだこうだ言えるほどリサーチングはしていないから言及は避けるが、こういう話題を見れば見るほど、誰が犯人なのか誰が被害を受けたのかを突き止めるために探したくなる国民性なのかもしれないが、思い出してもらいたい。
そうやって兵庫県は駄目な方向へ突き進み
岸和田市もまた同じ道筋を歩もうとする
誹謗中傷したり、或いは誰が犯人なのかを
探し出すのは、してはいけないと気づこう
中居正広氏の話題を見て思う次第だ
話に戻るが、あくまで個人の解釈であるので決定的な証拠をつかんでもいないのでこう思ったと考えて貰えたら幸いである。
兵庫県のほうが悲惨かもしれない。
港社長は、相次ぐスポンサー離れを受け真人間に戻り、社員と向き合うも手遅れ感は拭えないが社長としてやらねばならないことはしている。
一方の齋藤お坊ちゃま君知事じゃ…職員や県議のプライバシーですら暴露されても沈黙を貫く。ある方のユーチューブでの暴走にやめてくださいとも言えない、組織に携わる人間を知事が庇い守る姿勢が皆無に等しくリーダーシップを疑ってしまう。
僕ちゃんだけが良いとは違う。
これは、本当に見ていて職員や県議が気の毒で自殺された話も私は明石市にいたが、見ていて言葉を失うものがあった。どうか、せめて何かしら防ぐ方法などなかったのか、色々考えさせられた。
そんな、間違った方向に向いたとしても、駄目だ、それは違うとハッキリいえる、マスメディアも報道機関として取材を徹底的に行うスタンスを貫いて頂かないと、間違ったデマの拡散は新たに生まれるだろうなあと危惧している。
写真は過去に撮影したものを再度利用したもの。
END