疲れた時は「場所はいつも旅先だった」に避難しよう。

【あらすじ】
雑誌「暮しの手帖」の元編集長である
松浦弥太郎が自身の自伝的エッセイ集を
映画化。

今作で巡る都市は
アメリカのサンフランシスコ、
スリランカのシギリア、
フランスのマルセイユ、
オーストラリアのメルボルン、
台湾の台北および台南。
各地で体験した出会いと何気ない人々の日常を
柔らかに映し出す。

朗読 小林賢太郎
主題歌 アン・サリー

これはね、安らぐために観る映画だ。
「旅先は自分を取り戻せる場所。
そんな避難場所があるだけで心が安らぐ。」
と作中で語られるが、まさにこの映画こそが
私たちにとっての避難場所なのだと思う。

様々な国を旅するこの作品、現地の人たちの
言葉は吹き替えでも字幕でもなく、
ナレーションを担当する小林賢太郎さんの声で
そのまま語られる。
ああ、それが、また、良いんですよ。
日記のような雰囲気が出る上に、
ずっと小林賢太郎さんの穏やかで聴き取りやすく
心地よい声を聴いていられるんですからね。

ただ、自分は海外の夜を、人気のない早朝を
悠々と歩ける性別ではないな。などという
つまらないことが頭をよぎり、
少しだけ悲しくもなった。

【以下内容に触れています】


夜〜早朝の街を歩いて店や人に出会うのだが、
本当に映像が美しいんですよね。
何気ない日常なんだけど撮り方が素敵で、
説明しすぎないところが良いなと思いました。

たとえば、サンフランシスコのダイナー。
ここでは店の外にレインボーフラッグが
掲げられているのがチラリと見える。
そして同性で政治について語り合うお客さんに
「2人はパートナーなの?」と尋ねた描写が入る。
それ以上説明されないが、ここはクィアな人々が
集まる大切な場所なんだろうなと想像がつく。

さらにマルセイユの朝。
「良い漁師になるには
働き者じゃないといけないよ」
と笑い、濃いエスプレッソを一口啜った漁師。
その指は欠けていた。
しかしここもそれ以上何も説明しない。

言い過ぎないのがこの映画の良いところだ。
簡単な言葉で安易に語らなくていい。
人生はエスプレッソのように濃いものだものね。

作者の言葉がナレーションとして
差し込まれる中で、私が1番良いなと思ったのは

「強く見えたって人間は誰もが弱い生き物なんだ。
何故そう言えるかって?
僕らには心がある。
その心の中から不安とさみしさが
消えることはないんだ。
だったらそんな不安とさみしさを
愛してみてはどうかな」

「弱ってしまった自分をちょっとの間
逃がしてあげられる場所。
あなたにはそういう場所がありますか?
自分にとってそういう避難場所が
いくつかあるだけでも心が安心するのです。
その場所に想いを巡らせているだけでも
気持ちが楽になる」 

という部分。
小林賢太郎さんの話し方も相まって心に響く。
「安心するのです」の言い方がね、
本当に本当に本当に優しくて柔らかくて
泣きそうになるよ。

あと、【歩くこと/三好十郎】を思い出した。
【自分の頭が混乱したり、気持がよわくなったり、心が疲れたりしたときには、私はよく歩きに出かけます。こんなことは私だけなのでしょうか?君にはそういうことはありませんか?】
ぜひ小林賢太郎さんに朗読していただきたい。

サンフランシスコのドラァグ・クイーン
バネッサも、
シギリアにある寺院の
名前のない小さなお坊さんも、
この地球で生きていることを
これを観なければ知らなかった。
そう考えると不思議だ。
何もかもが違うのに、
人であることだけ変わらない。
人は、限られた時間の中で
限られた人たちにしか出会えない。
今、周りにいる大切な人たちとの出会いに
感謝したくなった。

そうそう、あとね、
バネッサがつけまつ毛を取るときに
口が開いていて、
わかるー!まつ毛取る時って口開くよね!
と思って笑った。
それはどこにいても変わらないのね。

「その先に何があるのかわからなくてもいい
歩き続けるだけでいい
きっと出会う 人として人に出会う」


【場所はいつも旅先だった/
松浦弥太郎】

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