「ダウト〜あるカトリック学校で〜」疑わしきは罰する。
【あらすじ】
1964年のニューヨーク。
厳格なカトリック学校の校長
シスター・アロイシアスは、
生徒たちから恐れられていた。
彼女はまだ年若い教師である
シスター・ジェイムズに、全ての事柄に
疑惑をもって当たれと厳命する。
そんな折、ジェイムズはフリン神父が、
少年ミラーと性的な行為を行なったという
疑いを持ち、アロイシアスに告白する。
アロイシアスはフリンを問い詰めるが、
フリンは単なる勘違いであると説明し、
ジェイムズは疑いを解く。
しかしアロイシアスは、執拗にフリンの
「罪」を追及してゆくのだった。
ジョン・パトリック・シャンリーによる
戯曲『ダウト 疑いをめぐる寓話』を
映画化したもの。
元が戯曲ということで会話劇で物語が進むのだが
この迫力がとんでもない。
派手な演出は何もないのに飽きさせず
ずっと緊迫感を保っていられるのは
シスター・アロイシアス役 メリル・ストリープ
フリン神父役 フィリップ・シーモア・ホフマン
シスター・ジェイムズ役 エイミー・アダムス
ミラー夫人役 ヴィオラ・デイヴィス
という錚々たる顔ぶれのおかげである。
基本的には
疑わしきは罰するシスターvs疑惑の神父
という構図。
この映画の一番良いところは加害シーンを
描かないところ。絶対に消費させない強い意思。
【以下ネタバレ有り】
神父と少年の間に何があったのかは
描かれないし、明確にはされない。
しかし、シスター・アロイシアスには確信があり
鎌をかけることで神父は辞任した。
アロイシアス「“以前いた教区のシスターに
電話して前歴があることがわかった”
と言いました」
ジェイムズ「立証できたんですね」
アロイシアス「電話はしていません」
ジェイムズ「嘘をついたと?」
アロイシアス「でも前歴がなければ
嘘は通じなかったはず。彼の辞任は告解と同じ。
悪を駆逐するためには一
神から遠ざかることもある」
アロイシアスはとても規律に厳しい人なのだが、
それは強靭な精神からくるものなのだなと
わかる。
ただただ規律を「守らなければいけないもの」
として守っているのではなく、
「なぜ守るのか?」という理由に
重きを置いている人。
だからこそ必要とあらば嘘もつく。
しかし、人を疑うという気持ちに
飲み込まれそうにもなっている。
鼻血を出した人のそばに連続して偶然いた
ジェイムズに「あなたが殴ったのでは?」と
言ったり、生徒たちを怠惰だと決めつけたり。
神父から「罪を犯したことは?」と問われた際に
「ある」と答え苦しげな表情も見せる。
もしかして、疑うことで誰かを傷つけ、
自らも傷ついた過去があるのかもしれない。
それでも疑うことを止められない。
そんな彼女だが、
年老いたシスターのヴェロニカのことを
常に気にかけていたり、
息子が同性愛者であると話すミラーの母に
「問題にすべきは行動」と本人を責めなかったり、
実は優しさに溢れた人なのだろうなとも思う。
守りたいから疑うのだろうか。
さて、神父は白か黒か。
大人は子どもを守らねばならない。
【ダウト〜あるカトリック学校で〜/
ジョン・パトリック・シャンリー】
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