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なりたい願望だけでなれるほど楽じゃない

以前の投稿記事で、俺は何事も
究められない気質だと述べた
ことがあるが、その後改めて
考えてみると、生涯今まで
寝食を忘れてまで打ち込んだ
ことは(趣味なり仕事なり含め)
おそらく何一つ無いことに
気付いた。何とも虚しい話だ。
本当に根性無しで、何でも途中で
折れてしまうんだ。見極めとか
損切りとかそれっぽく誤魔化して
きたけど、要は続かないだけ。

今までの昔語りシリーズなどを
ご覧の皆様は薄々勘付かれてる
かもしれないが、僕はやはり
青年期からクリエイターに
なりたい願望だけは一丁前に
あった。今なら「なろう系」の
小説などで溜飲を下げてたの
だろうか。俺の若い時にそんな
ジャンルなかった(そもそも
同人誌すら俺の中高時代には
市民権なんかなかった)ので、
目指すならやるしか無い訳だ。

だけど、時が経つにつれて
気付いていくんですよ。自分が
クリエイター型の人間ではなく
明らかにコンシューマー型の
人間である
事に。これって
残酷で、傍から見ても分かる
というか感じ取れちゃうことで、
この二つの分類って本人の意志と
無関係なのね。適性の問題なんだ。

本人が全く望んでなくても
クリエイター型の人は新しい
アイデアを出せたり、俗にいう
「センスのいいもの」を作れ
ちゃうんだわ。一方、クリエイ
ターに憧れてても人間の気質
としてコンシューマー型、
もしくはクリエイト能力の
欠落してる人間は、無理やり
搾り出しても何も出てこない
から、頑張ってもテクニックで
量産品を作るのが関の山だ。

おそらく今作り手をやってる
人でも、本質的にはコンシュー
マー型の人が多いと思う。
それでも意地でもクリエイターで
ありたいと願い、現場に残った
人間は、テクニックを磨く、
引き出しを増やす、そして数多く
こなすことによって、持ち合わせて
いないセンスの穴埋めをしている

だから「努力も才能」と言われるし、
センスがないのに努力も出来ない
人間は当然生き残れないということ。
出来ている人は本当に立派だし、
見極めるタイミングも重要だと思う。
今の若い人たちに対して思うのは、
損得無しに助言をくれる人の存在は
大切にしないとダメという事。
出来ないなら出来ないなりの道に
進まないと、後戻り出来なくなって
袋小路に入るからね(実体験済み)。

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