早朝の誘い
午前四時の散歩の話をしようと思う。
こうやって薄ら暗い朝に外に繰り出す時は、決まって何かあって、それは私にとって、その時に必要な、何か大事なことで。
例えば眠れなかったり、夜に起きたり、その時の現状と私の諸事情重なって、ただただ外へ、てくてく歩き出すのだ。
まだ暗い中、フラッと外に出た。朝の空気を感じながら何処かでご飯を食べようと、コンビニで買った食べ物が入ったビニール袋をぶら下げて坂を登っていると、じんわりと光る神社への入口を見つけた。
綺麗で、引き寄せられた。
「今日はここにいこう」
私はそう決めた。
「ようこそ」って私に言ってる気がする。
階段を降りていく。静かで、わくわくした。
誰もいないし、暗くて、でも受け入れてくれているような、なんだか私の為につくられた道みたいで。
降り切ると、境内だった。
境内の写真はない。いつか、友人が、境内の写真をとってはいけないとかなんとか、そんなことを言っていた気がしたからだ。
私は私を信用していないが、その代わりに私の友人をとても信用しているので、こわくなって、慌ててやめた。
鳥居や通路はいいのかって?知らない。
写真をとってしまったのは仕方がないから、駄目だったのならどうか教えて欲しい。次からは気をつける。
散策して、お参りをした。お賽銭もちゃんといれて。作法があっているかもわからない、右も左も分からぬよちよち赤ん坊だったが、神様、許して欲しい。気持ちがあれば、許して頂ける。そう都合良く解釈して歩いた。
そしたら、こんな階段があった。
行くっきゃないよね。
下は独特の空気が漂っていて、ずっとそこにいたくなった。
ずっと呆けて、うろちょろうろちょろしていたのだが、どうやら長くいすぎたようで。朝のランニングの方々とかち合って怪訝な顔をされたので、流石によろしくないかと外に出た。
その頃には、境内では掃除が始まっていて、あ、今から1日が始まるんだ。と当たり前なことを、ただ思った。足もつかない、ふわふわした私の時間帯が終わった。と感じた。
表の道は案外広くて綺麗で、驚いた。
そこから写真をとって、今日の散歩は終わりにしよう。そう思って、神社の正面に立った。
帰りながら、「あれ?今日の写真全部罰当たりなんじゃないか?」と考えていた。今も戦々恐々としている。神様、許してください。こんな時だけ信仰する奴ですみません、でもそれが私なんです、すみません。
戻って、ご飯を食べていないことに気づいた。
でも、神社でご飯食べる勇気は無かったので仕方がない。
これで、散歩は終わり。
何かを求めて何処かに行く時は、必ず何かを見つける。というよりも、見つけたと思い込む。でも、そうじゃないと気づかないことも多いし、やっぱり何処かに行くことが私は好きだ。多分逃避だろうけど、確実に目を背ける為の行動だけど、逃避する私が出会った何かは、現実に向き合う私に、力をくれるから。
逃避の私が見た景色が、現実に戻った私に、沢山のことを教えてくれる。それは逃避から戻るきっかけだったり、現実と戦う力だったり様々だけど、その記憶とか、写真とか、思い出とか、それにすがって私はこれからも生きていくんだと思う。
だから、これまで、これから、行った場所とか、見たものとかを記録しようかなって思った。
私がそれを見て、にやにやしたいから!
未来の私が、現実に生きている私が、ふわふわした気持ちになるような、呼吸ができるような、そんな記録を残していきたい。
これからの私、よろしく!