2021/2/8

昨日の大河ドラマに思う

「麒麟がくる」を初回から欠かさず見ていたのですが、昨日で終わってしまいました。そうです、ロスです。いろんな感情が渦巻いて、昨日は全く眠れませんでした。

というのも、めちゃくちゃ畏れ多いですが、光秀と自分に少し重なる部分があるような気がしたんですよね。

光秀ってめちゃくちゃ優秀な信長の家臣だったんです。光秀の夢は「戦の無い世をつくる」こと。信長と出会って、この人となら、一緒に大きな世を作れるかも、、、と思って家臣になります。
ところがどんどん信長のふるまいがおかしくなってきて、帝や元将軍の義昭、死んでいった同僚、いろんな人が「平らかな世を作れるのは、おまえしかいない」的なメッセージを発していたのも相まって、最後は「信長ではない、私が!」ということで本能寺で信長を討つんです。
ですがご存知のとおりその後すぐ、秀吉に敗れます。生き延びた可能性もありますが、ひとまず社会的には明智光秀はここで死にます。
ドラマの描写ではそれから数年後となり、帝も将軍も町の人も変わらず、生活している。たぶん、戦の無い世を、まだ願っていると思います。

光秀、可哀そうすぎませんか??
戦国ですから、そういうものなんでしょうが。

サラリーマンと重なって見えるのは、私だけでしょうか?
生きているうちに、だんだんといろんなものを背負って、「自分がやるしかない」とボロボロになるまで戦って、朽ちていっても、だれも平気な顔をしているなんて。
周囲の人間からしたら、平らかな世を作るのは、光秀でなくても誰でもよかったんでしょう。
だとしたら、私は、光秀に、逃げてほしかった。幸せに生きていてほしかった。でも、当時の価値観では、絶対に無理でしょう。逃げたらいっそう幸せになれないかも。

でも、現代は、戦国ではないから、たくさん、謎の荷物を背負ってしまってる方は、全部放り投げて、逃げてもいいと思います。逃げても、幸せになれる。だったら、逃げないと損。

私はというと、背負っている無駄な何かがあるのはわかっているのですが、なかなか背中から降りてくれないので、ひとまずのところ、それらの正体を見極めつつ、逃げだす準備もしつつ、山登り風の毎日を送りたいと思います。




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