映画「大鹿村騒動記」の舞台で考える【青いけしはどこに】沸騰か高齢か
2024年6月、雨の季節が始まる頃、晴れになるとの天気予報を聞いて、
知人に借りたEV車でドライブ旅に出ることにした。
旅の目的地は、南信州の山奥、南アルプスの麓の不思議な村である。
名優・原田芳雄の遺作となった、映画「大鹿村騒動記」の舞台の村である。
EV車のバッテリーが持つのか心配だったが、なんとかなるだろうと、高速道路を現代最先端技術満載の車で走った。
【大鹿村】
私にとっては、不思議な魅力を感じる場所である。
初めて訪れたのは、1980年頃、大学生だった。私は、オートバイで、日本一周、いや、三周くらいしたのだが、その旅の途中、山道を進み、たどり着いたのが、この山奥の「大鹿村」だった。
それ以来、この山奥のなんとなく不思議な景観・雰囲気に魅了され、年に1回は、大鹿村を訪れた。
何をするでもないが、オートバイやボロボロの4WD車で、何もない、山奥の村にきて、ただ、数時間過ごしては、都会の自宅に戻るというようなことをしていた。
たまに、村内にある山小屋の温泉に入ったり、国の重要文化財の旧家を見学するというようなこともあったが、山奥でただ何もせず過ごすというようなことが多かった。
何もないと言ったが、大変失礼しました。前言を撤回、修正します。
国の重要文化財がいくつかあるのは、凄いことである。他にも、古い歴史ある神社など見所はたくさんあります。
また、伝統文化の農村歌舞伎が伝えられており、300年の歴史ある歌舞伎公演が、年に2回、今でも、住民参加、すべて村民が演者で行われている。
過疎化、高齢化もあるであろう、山奥の村ではあるが、古くから、人の往来が有り、人の生活があり、文化が生まれ育ち、時が積み重ねられ、素晴らしい歴史のある場所となっていた。
全方位を山に囲まれているが、素晴らしい自然もある。何もないどころか、多くの素晴らしいものがある豊かな村である。
1970年代、素晴らしい環境に魅了されてか、ヒッピーが集まるようになり、「聖地」ともなったというような噂も聞いた。
私は、それほど、ヒッピー文化に関心が高いわけではないが、その噂が本当だとすると、確かに、現代社会から離れて、この地に住みたくなる気持ちがわかるような気がした。そんな感覚になる、少し不思議な怪しいような雰囲気を大鹿村に私も感じて、たびたび、この村を旅するようになった。
それから、10年間ほどは、毎年のように、特に何もすることはないが、大鹿村を訪れていた。しかし、その後、村への旅は途絶え、しばらく、山奥のこの地を訪れることはなくなっていた。
2000年になった頃、また、南信州の山奥、南アルプスの麓の村を訪れるようになった。初めてこの村を訪れ、魅了された学生の頃を懐かしみながら、山奥の村の風景・雰囲気をただ味わっていた。
2010年頃、映画俳優の原田芳雄が、この山奥の村を気に入り、同氏主演の映画が創られた。
「大鹿村騒動記」というタイトルの映画で、村に長く伝わる伝統芸能の農村歌舞伎をモチーフに、村の人間関係の事件や出来事のドラマを描いた、人情喜劇タッチ映画で、面白い作品だった。友情出演で、日本を代表する名優が多く出てくる。
原田芳雄氏の体調がすぐれない中、映画撮影がされたり、公開前に、お亡くなりになったので、遺作となったヒット作品である。
私は、同氏と同じように、大鹿村に魅了されてきたので、より関心が強く、この映画を観た。
DVDも購入した。今でも、時々、感傷に浸りながら、笑いながら、繰り返し鑑賞している。
【青いけし】
今回、2024年のEV車ドライブ旅の目的地「大鹿村」でのお目当ては、「青いけし」だった。
何度か村を訪れている時、村内の道に、「青いけし」という看板をみた。
白地に青い文字で、「青いけし」とだけ書かれていたので、なんとも不思議に感じられる看板だった。
従前から村内にある「青い看板」が気になっていたのだったが、初めて「青いけし」実物と対面したのは、2015年のことだった。
山奥の大鹿村の、その中でも最も山奥に感じられる場所にある農園で「青いけし」に出会った。初めて、近くで、たくさんの「青いけし」をみた。
「青色」というよりも、水色に近いと思った。ヒマラヤ原産とのこともあり、高山の上に広がるブルースカイ色よりも、南太平洋の海の青に似ていた。
「青いけし」という言葉から、少し、怪しい危険なイメージも連想していたこともあって、山奥の村の最深部の高い所にある「青いけし」は、とても、不思議な魅惑のものに感じられた。
なお、この青いけしは、「ケシ」であるが、違法な薬物成分を含んでいる種類ではなく、キレイな青い花をみる、観賞用のケシである。
勘違いされませんように。
【2024年6月 青いけしはどうなった】
2024年6月。晴れの予報を信じて、この「青いけし」を観たくなり、この山奥の大鹿村の、その中の最深部の高い所にある農園を訪ねた。
「青いけし」をみることはできなかった。農園は、閉園だった。金網製の入口には、大きな南京錠がかかっており、園内には入れない。園の中にも外にも、誰もいなかった。
金網越しにみえる園内には、少し草木もあったが、咲いている花はなかった。青色の花だけでなく、何色の花も咲いていなかった。
「青いけし」との再会はできなかった。
【地球環境の変化か高齢化日本の影響か】
つい先日のテレビニュースで、「地球は温暖化ではなく、沸騰化の時代に入った」と、国連の偉い人が言っていた。
村役場の情報によると、温暖化等影響か「青いけし」は、生育不良で、今年度、「青いけし農園」は閉園とのことだった。一時の休園なのか、ずっと閉園なのかわからないが、農園経営者の方の高齢化等もあり、来年以降、どうなるかわからないというような話もあるとのことだ。
ヒマラヤ原産の「青いけし」は、大鹿村の気候、生育条件が、ヒマラヤの高地に似ていて、この地で、長年、毎年、花を咲かせてきたのだろう。
それが、近年の環境変化、社会構造の変化などのために、今年は、青い花が咲かず、閉園することになったようだ。
もう、大鹿村で、青い花をみることはできないのだろうか。
大鹿村の「青いけし」はどうなるのだろうか。
【九輪草の赤】
「青いけし」との再会はならず、少し残念な気持ちでEV車を運転していると
赤い花が目に入った。「九輪草」だった。
九輪草とは、日本原産のサクラ科の植物で、春から初夏に、湿地のある木陰で咲くとのこと。その形が、仏教に関連する何か、九輪というものに似ているところから、名付けられたらしい。
赤い花の咲いている九輪草は、1本だけかと思ったら、車を停めた近くの池の周辺にたくさん、咲いていた。九輪草の群生地のようだった。
その池は、「伝説の大池」という、大鹿村の7不思議のひとつの逸話を持つ場所であった。
逸話が書いてある説明看板を読み、赤い花が群生する「伝説の大池」をみて、また、大鹿村の不思議な魅惑の要素がひとつ増えたと思った。
赤い花の「九輪草」は、花か葉に、動物が嫌う物質・成分を持っていて、鹿が近寄らないと聞いた。大鹿なのに、大池には、鹿が寄って来ないのだろうかと、伝説とあいまって、大鹿村の不思議・疑問が増えた。
【大鹿村までの道】
動物と言えば、山奥の大鹿村には、たくさんいそうだ。
この日、高速道路ICを降りて、村までの山間部の比較的整備された国道を走っていると、ガードレールにサルの集団がいた。親ザルから小さな赤ちゃんサルまで10頭くらいのサルの集団だった。
山の奥から人や車の多い人里に下りてきたのだろうか。
狸のような小動物が道を渡るのにも遭遇した。日本タヌキのようにみえたが、外来のアライグマ系動物だったかもしれない。
この道には、大型ダンプが何台も数珠つなぎで走行していた。リニア中央新幹線のトンネル工事関係の車両のようだ。何台もの大型ダンプとすれ違うので、比較的整備されているがカーブの多い、狭い道は、スピードを出せなかった。
【リニア中央新幹線トンネル工事】
リニア中央新幹線の工事は続いているようだが、巨大プロジェクト故に、様々な課題が出てきて、当初の完成予定は遅れるとのことだ。
南アルプスの大鹿村側貫通するトンネル出入り口の工事も、工事遅延、完成予定延期の影響を受け、大鹿村の現在ある工事関係の影響も長引くことで、
村や村の人々の負担も増すのではないだろうかと心配でもある。
【大鹿ジビエ 鹿肉のハンバーグ定食】
伝説の大池のある山奥の大鹿村の最深部の奥山から細い曲がりくねった道を大鹿村の中心部まで下りてきた。大鹿村名物のジビエ料理、「鹿肉のハンバーグ」を食べるために、村の中心街のいつもの食堂に入った。
20年くらい前に、初めて食べた「鹿肉のハンバーグ」は、肉自体が美味しく濃いソースと相まってとても美味しかった。大好きな味だった。
注文する品は決まっていたが、メニューを見た。真新しいメニューに、「鹿肉のハンバーグ」はなかった。あの美味しい独特のソースのかかった最高のハンバーグは食べられなくなっていた。最近、メニューを変えたとのこと。
老夫婦の営む食堂にも、高齢化の影響があるのだろうかと思った。
ハンバーグの代わりに、ジビエ鹿肉カレーを注文した。豚焼肉定食とざる蕎麦も追加した。一人で3人前を食べたが、なぜか、幸福な満腹感には少し足りなかった。
鹿肉カレーも豚の焼肉も美味しかったが、あの「鹿ハンバーグ」には、勝てなかった。大鹿名物「鹿肉ハンバーグ」が、メニューから消えてしまっていたことは、とても、残念な記憶となってしまった。
【ジビエ料理 親愛なる大鹿村 鹿を喰う】
映画「大鹿村騒動記」で、善ちゃんが営む食堂「ディア・イーター」は、旧みっちゃん食堂というようだ。
旧と言うことは、現在は、食堂をやっておらず、映画のセットとしてのままで保存されているのだろう。
「ディア」は、親愛なると鹿をかけたのではないだろうかと、ネーミングに少し感心したが、真意はどうなんだろうか。単に、「鹿喰う人」なのかも。
原田芳雄遺作映画「大鹿村騒動記」は、元々は、「いつか晴れるかな」という作品名だったと聞いた。
大鹿村では、村内の数カ所の神社に隣接して、歌舞伎の舞台がある。
今でも5,6箇所あるのではないだろうか。その中の2箇所では、年に1回ずつ、春と秋に村民が出演者、観演者の歌舞伎公演が開催されている。
300年以上続く、農村歌舞伎は、大鹿村で大人気で、村外からも観客が大勢訪れるらしい。
そういった様子、状況、背景も含めて創られた「大鹿村騒動記」だと思うが、映画の製作・発表以降、より、一層、村の歌舞伎熱は上がり、村外からの観光客も、一気に、集中することになったのではないだろうか。
大鹿村を知ってから40年ほどになるが、残念ながら、まだ、大鹿歌舞伎公演を観たことがない。最近は、春と秋の公演時には、やってくる人と車で、
大鹿村までたどり着くのが大変なのでは。宿も1年前でも宿の予約が取れないのではないだろうかと思い、歌舞伎公演に出かけることができない。
歌舞伎公演自体が一大騒動であるのは、良いことだが、なかなか、観ることができないということは、個人的には、少し、寂しい、残念なことにも感じる。
いつかは大鹿歌舞伎を観てみたい。「いつかみれるかな」
私は、帰路についた。EV車を高速道路の都心方向に走らせた。
EV車のバッテリー残量は、なんとか、家までもちそうだった。
かつての「青い花」には出会えなかった一日を振りかえりながら、今年の夏は、ヒマラヤを観に、ネパールにでも行こうかと考えていた。
EV車のFMから、吉田拓郎「夏休み」が流れてきた。
2024年雨の季節の晴れの日、「大鹿村騒動記」の舞台を巡り、「いつか晴れるかな」を考える旅だった。
(2024年6月大鹿村旅の記憶)
【「いつか晴れるかな」的追記と写真掲載】
2024年6月の晴れの日、久しぶりに、大鹿村を訪れた。
前回から2年ぶりだったか、その間にも、大鹿村には、変化があった。
善ちゃんの店「ディア・イーター」にちなんで、美味しい「鹿肉ハンバーグ」を食べたかったが、いつも行っていた食堂のメニューから、なくなっていた。
アルプカーゼという手作りチーズがあったがとても美味しかった記憶があり、今回、買うことができるかと思い、道の駅に行ったが、売っていなかった。人気があって品切れ中なのか、チーズづくりをやめてしまったのか、これも少し心配になった。
大鹿村内で行われている、リニア中央新幹線の南アルプストンネル工事に関連して、大型ダンプトラックが、数珠つなぎで狭い山道を走行していた。
新しいトンネルも増えていたが、途中、拡幅工事が必要な場所も多く、通行にはかなり注意が必要であった。
不思議な大鹿村でのお目当ての「青いけし」も咲いていなかった。地球温暖化など環境の影響だろうか。高齢化により植物を育てる作業も困難を多くしているのかもしれない。
時とともに、世の中は変化する。世界、社会、地球も変わるのは、仕方がないことだが、変わって行くにしても、できれば、現代の高度な科学技術、知見をうまく活用して、良い方向に変化させてほしいものだ。
来年の春か夏に、山奥の村を訪れる時には、「青い花」と「ジビエハンバーグ」と再会できれば良いのだが、難しいだろうか。
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