死を見すえて生きること
みんな不死身にでもなったつもりか
古代、ちょっとした怪我や病気が、生命にかかわることになることが多かった。
様々なことが試され、人々は生命を守ろうとしてきた。
祈る
祈祷の類は、どの文化でも見られる行為である。
シャーマンが各文化圏に存在し、病や怪我を呪術で遠ざけようとしてきた。
祈祷を受ける側の人間も、そのことを信じて、効果が現れるのを待った。
亡くなるものが大半であっただろう。祈祷や儀式に医学的根拠はない。患部が治る保証などゼロに近かったかもしれない。
しかし、中には死の淵から還ってくるものが存在したのも確かである。
彼らと亡くなる者の間には何があったのか?
試行錯誤による治療
太古の昔から、科学的な根拠を持って、治療を研究しようとしてきた者もたくさん存在する。
錬金術師、植物学者、毒学者…あらゆる角度から、人間は疾病を捉えようとしてきた。
水銀を飲む治療。
水銀は、古代では珍しく、価値のあるものであったため、神聖なものや、体にも良い影響があると思い込まれていた。
現在、水銀は、体内に蓄積し、人体に悪影響を及ぼすものと立証されているため、今から思うと水銀治療は滑稽に見える。
瀉血治療。
昔のヨーロッパでは、病気になると、体内に悪い血液が循環せずに滞留すると思われていた時期がある。
それらを、体の1部に穴を開けて、強制的に排出するという治療が考案された。
一時期は、瀉血=医療であると思われて、瀉血師のことを、いわゆる医師と呼んでいた時期もある。
しかし、患部を特定出来ない以上は、果たしてどこに穴を開けたら良いかはっきり分かっていなかった。それ故に、失血死してしまう患者も存在した。
残念ながら、瀉血は民間療法の延長でしかなかったのである。
毒草を適切に使う。
トリカブトと言えば、毒学にうとい人間でも、猛毒であることが知られている。
トリカブトも薬草学者の間では、毒であるが、適切な量を服薬することで、効果があることは知られていた。
今でも、トリカブトの主成分のアルカロイドは風邪薬などにごく微量含まれていることが知られている。
しかしながら、大昔に、致死量を知ることも、はかることも、なかなか叶わず、死に至るものも少なくなかったのは明白である。
死はそこにあるものだった
これらの行為の効果の裏付けは、あまり信ぴょう性のないものばかりだったが、治癒し、元気になる人間は一定数いたのである。
「いつもなら、死んでしまうが、この者にも、治療を施してみよう」という絶望的な状態で、祈祷や療治が施されるのだから、治癒回復したならば、本人も治療者も驚いたことだろう。
生と死の境目
第一次世界大戦時、第二次世界大戦時は、もちろんのこと、過去に戦争での犠牲者がたくさん出ました。
徴兵により、直接戦場に赴き、銃弾や爆弾、地雷によって、何の罪もない人々がたくさんこの世を去りました。
女性や子供も、相手国の爆撃や毒ガスにより、やむなく亡くなってしまいました。
戦争は、無意味なもので、それ自体が生きる気力を奪います。
多くの人が亡くなるのも無理はありません。
しかし、戦争に出兵した人達の中にも、生還する人はかなりいました。
彼らは、亡くなった人と何が違ったのでしょうか?
配置的に、補給兵や、通信兵などの職務につかされていた人は、最前線で、戦闘することはなかったようで、たくさん生還しています。
彼らは、すぐそこで、銃弾をかいくぐって生き延びたのとは、少し違うようです。
つまり、今すぐ死に直面しているという状態ではありませんでした。
次に、私が聞いた兵士の話ですが、
彼は熱帯雨林の中で、日本兵との戦闘に参加していたそうです。
日本兵は「死ぬことを恐れていない」ということで、アメリカを初めとする諸国の兵士に大変恐れられていた様です。
死ぬことを恐れないものと互角に戦うことは、非常に危険で、大変なことです。
その存在だけで、日本兵は米兵に恐怖感をあたえていました。
彼も、蒸し暑い熱帯雨林で、汗をべっとりとかき、日本兵の恐怖に、おののきながら、逃げ場のないゲリラ戦闘を、かろうじてこなしていました。
いつ果てるともなく続く戦争…。
今日は同僚が、何人も死んだ…。
次は自分かも…。
そんな虚無とも、恐怖とも付かない気持ちが毎日、彼を苛みました。
そんな時、彼は妻の写真を入れたロケットと、ロザリオを握りしめ、眠れない夜に
「必ず、私は、敵を倒して、アメリカに生きて帰るのだ、絶対に私は死なないのだ」
そう心に強く命じて、毎日を過ごしました。
戦争は更に激しさを増していき、死者の数も膨大なものになっていきました。
ある朝、その日は、驚くほど穏やかで、敵襲により、起こされることがないほどの、静かな朝を迎えていた。
つかの間の休息と言ったところか。
彼もまた、目覚めて、水を飲もうとした。
すると、彼はバランスを崩して、水筒を地面に落としてしまった。
彼は、両足の感覚を失い、右手も、麻痺していた。
一体何が起こったのか、さっぱりわからなかった。
彼は混乱した。上等兵が報告を受け、彼の様子を見に来た
「あいつは、無理だ。このまま置いておくと足でまといになる、どうしたものか?」
丁度、そこに、物資を届けにきた、補給部隊がやってきたので、上官は、彼を本部の野戦病院に連れて帰るように命じた。
彼は、敵を倒して、本国に帰るのだ、と主張したが、上官は「君を置いておく余裕がない、即刻、手当をうけたまえ。」
そう厳しく命じたのだった。
彼には無念さが残ったが、補給部隊と共に、野戦病院に帰った。
彼はうなされ、高熱を発して、繰り返し、夢にうなされた。
爆弾が炸裂し、同じ部隊の知った人間が吹き飛ばされる、自分は、金網越しに、それを見て、叫び声をあげているが、みんなには届かない。
やがて、誰一人生き残らず、死に絶えてしまう夢だった。
何日が過ぎたか、わからなかったが、ある日目覚めると、当たりが騒がしかった。
彼が、「何があったのか?」と、1人を捕まえきいてみると、
「日本が降伏したと報告が来たのだ、今、みなで確認している。大丈夫だ、君も生きて帰れるぞ!」
彼は複雑な気持ちになった。しかし、確実に安堵していた。
地獄のような戦争から、解放される。
彼はほっとすると、また、しばらく眠りについた。
目覚めると、熱は下がっていた。
驚くことに身体も自由を取り戻した。
結局、彼は五体満足で、再び妻の元に帰ることができた。
彼は、「必ず生きて帰る」という強い信念を達成させたのだ。
思えば、終戦間際の最悪のタイミングを、負傷していたおかげで、やり過ごすことができたのだ。
これは単なる奇跡だろうか?
私はそうは思わない。
これは彼の信念が起こした必然の結果だったのだ。
彼は死を遠ざけた。
彼は「もうダメだ、もう死ぬ」と1度も思わなかった。
故に、彼は生きていたのだ。
昔の病人もそうだ、
「必ず生きていたい」と強く思うものが、生き残っているのだ。
死は自らが引き寄せるもの。
しかし、同時に死を間近に感じて生きていることを、普通の当たり前のことと思わないことが、非常に重要なのである。
生と死は表裏一体である。
どれだけ医療が発展しても、助からないこともある。
逆に10%未満の生存率で、生還するものもいる。
生きていたい、と思うこと。
これは、人間の生存可能性を著しく向上させる。
死を軽んじてはいけない。
死を見据えて、生存することを、常に意識すること、これは生物として、最も大切なことかもしれない。
あなたも私も、限りある命。
1度しかない命。
心配ありません。
あなたも、私も、望みは必ず全て叶うのだから。