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編集者の本屋

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編集者歴約30年。そして、3年前から自宅ショップで本屋さんを運営しているこの道のことをあれやこれやつづります。
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記事一覧

2020年10月

 いつもぼーっとしていると時は流れる。もう10月。前回から6か月が過ぎっている。2016年からはじめた住宅兼ショップの本屋「甘茶書店」もなんとか続いている。しかし、9月からはこれまでより休みを1日多くして、3日間営業とした。

 やはり、来客は少ないので、あけているより、ほかに時間を使った方がいい、と判断したためだ。

 お店というのは待つ時間が多い。この場所で、この時間帯にお客様を待つ。だけど、

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2020年4月

 昨年、2019年には以前の寄稿を残すためにも少しnoteを書いていたけれど、あっというまに時は流れもう2020年。それも4月。

 今、世の中は未曾有のパンデミックで、外出自粛とお店の休業があいついでいる。今年のはじめくらいからにわかに新型コロナウイルスは国内で流行りはじめ、3月くらいから私たちが住んでいる広島県でも感染者が出てきた。先日は呉市内でも。

 そんな時期なので、当店(甘茶書店)も4

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2019年の緑地帯5

 前回、書いたように編集部に在籍していたとき、私はミスター・チルドレンを担当していた。「すぐ人気者になるだろう」と業界での彼らの評判は高く、私もライブには足を運んでいたが、初めて桜井さんに会ったのは4枚目のシングル「クロス ロード」の発売前(1993年10月ころ)。他のミュージシャンへのコメントをもらうために事務所にうかがい、そこで取材させていただいた。

 それが縁で連載エッセイを担当することに

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2019年の緑地帯4

 編集部にいたころの一日のスケジュールはだいたい11時頃に出社。そこでお昼をすませて午後から取材や打ち合わせ。それが終わって編集部に帰ると夕方から原稿受け取りや入稿作業。そして、深夜まで校正などの作業をして終電に間に合わない場合はタクシーチケットをもらってタクシーで帰宅する、という感じだった。

 もっとも本が発売日に書店に並ぶ頃には11時に出社、19時に退社という普通のOLのような勤務体制も月の

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「マイペースに編集の道をゆく」⑦

 ひと口に「編集者」といっても、週刊誌と月刊誌、雑誌や書籍、新聞などの制作するものによって仕事内容や作業は異なる。

 私は5日発売の月刊誌の編集部に在籍していたので、時間の余裕のある月末はOLの生活と変わりがなかった。月が替わるとカラーの入稿が始まり、10日までに取材を行い、15〜25日の間でライターやカメラマンに原稿や写真をもらい、ゲラを作り、校正をして版下へと完成させる。後半になるにつれて作

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「マイペースに編集の道をゆく」⑥

 「月刊カドカワ」の表紙をめくると出てくる、観音折りの目次の裏には「色付き壁新聞」と題したミュージシャン矢野顕子の連載があった。今読み返しても約400ページの一冊の中に特集や連載がぎっしり詰まっている。

 総力特集のつくりとしては、”スピリチュアル・メッセージ”と題したミュージシャンやアーティストの内面を掘りさげた記事を中心に、作品解説や作家対ミュージシャンのように分野が違う創り手同士の対談、特

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「マイペースに編集の道をゆく」⑤

 ミスター・チルドレンの桜井和寿さんの連載を担当したのは1994年当初。それから数カ月後、「イノセント・ワールド」はミリオンセラーを記録し、”ミスチル現象”という言葉を生むまでになった。

 その勢いにのって事務所は、彼らのドキュメンタリー映画「es」の製作を始め、並行して「es」の単行本制作も企画した。連載を担当した縁から、95年発売の「『es』ミスター・チルドレン370デイズ」で、私は初めて単

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「マイペースに編集の道をゆく」④

 編集部にいた時は仕事に関するコンサート、演劇、映画などに招待され、足を運ぶことが日常だった。

 そんな中、デビューライブに招待されたのがバンドのスピッツ。デビューライブのバンドのたたずまいや歌詞、メロディーに感性が震えて、「連載、やりたいです!」と編集長に直談判。翌年初めて、ボーカルの草野マサムネさんの連載エッセーを担当した。

 連載前の打ち合わせで、地図・旅好きの草野さんに「旅」をテーマに

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「マイペースに編集の道をゆく」③

 私が在籍していた文芸誌「月刊カドカワ」は連載小説、エッセーなどの読み物と特集記事で構成されていた。表紙からの総力特集は一(人・組)アーティストを50ページというボリュームで取り上げていた。

 辞書に「編集=いろいろな材料をあつめ、一定の意図のもとに整えて、新聞・雑誌・書物をつくること」とあるように、総力特集の担当になると、まず”一定の意図”、つまり総力特集のテーマやタイトルを決めることから始ま

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「マイペースに編集の道をゆく」②

「月刊カドカワ」は1983年、角川書店が創刊したA5判サイズの文芸誌だ。当初は小説中心のオーッソドックスな内容だったが、私が在籍した89年ころは表紙をミュージシャンが飾り、ミュージシャン、漫画家、タレントを書き手に起用した総合文芸誌に変わっていた。

 編集部内には毎日事件が起き、終始緊張の糸が張り詰めていた。

 新人のころの担当は読者投稿欄や情報欄。編集部に届く愛読者カードを一番に読むのは編集

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緑地帯「マイペースに編集の道をゆく」①

 小学4年生の時はクラス内のひとり文芸部に所属し、文集制作、卒業時には卒業文集の編集委員をしていた。なぜか私は幼いころから編集という分野に興味があった。

 10代になり、音楽やライブを好きになってからは音楽仲間と佐野元春のミニコミ誌を作っていた。もちろん1970、80年代の洋邦楽の音楽誌も読みあさり、作文家と名乗る音楽ライター吉見佑子さんの詩的な音楽評論にあこがれていた。

 そんなころ「スナッ

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これまで

 もう50歳代も後半。25、6歳で出版社に入り、仕事をしてきたので、キャリアとしては30年近くとなる。その道を振り返っても、長すぎて、すぐは整理のやり方がつかめない。なので、まずは縁あって、2009年9月に地元紙で連載させていただいたコラムを転載しよう、と思います。
中国新聞、2009(平成21)年9月3日からの8日間です。

 10年前なので、まだ40歳代後半。地元呉市に戻ってきて5年たったこ

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編集者の本屋

 私は編集者です。現在はどこの編集部にも属していないので、フリーランスの編集者になります。といっても現在、抱えている仕事(商業的なお金になるもののこと)はありません。それじゃあ、編集者ではないのでは、と思われる方もいるかもしれませんが、いえいえ違います。「編集」する技術を身につけているので、「一緒に本をつくりたい」と言われれば、すぐ実践することができるのです。ほおら、編集者でしょう。

 というこ

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