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父へ 、そして家族へ、


お久しぶりです。
先日、60代にして若く、我が敬愛する父が
この世界からいなくなりました。
というより、燃やされていなくなりました。

まだ、もちろん実感は沸きませんが、
父との思い出、そして家族とのことを書き出してみようと思いました。いつもの事ながら突然です。


私は妹ながら上に女は居らず、一応長女ですが兄がおります。呑気に生まれた私はこれからたくさんの山場が待っていることもつゆ知らず、鳴き声をあげたのでした。
私が幼少期の頃です。母は私や兄の育児に加え、祇園で育った祖母からのアドバイスという名の指摘に耐えて耐えて、父のわがままにも耐えて生きてきました。
父はもうその頃から、ヘビースモーカーであり、アルコール中毒でした。
そんな育児や様々なことで大変な中で、父親は急性アルコール中毒で何度も死にかけ、何度も母親を泣かせていました。
そのストレスの反動から、私と兄、子供への虐待やネグレクトが始まりました。
加え、母親の逆鱗に触れると父親に
私が傷つけられた
と言う為、父親からの暴力や暴言など、虐待がありました。
小学二年生の頃、周りはもちろん誕生日に色んなものを欲しがります。そんな時期だと思います。
私は小学二年生にして、
「誕生日プレゼント何も要らないから、タバコを辞めてほしい」
と母親と父親の前で、父親に伝えました。
父は、私に適応なプレゼントを与え、タバコは辞めませんでした。

中学2年で鬱と自覚し、放置したまま社会人としてブラック企業の介護職に就き、パニック障害になり、そのまま色んな病気が再発し、もう働けない、というところまできて、
実家にいることが申し訳なくなっていました。
そんなある日、
1人で区役所の窓口に相談に行って、一人暮らしをしよう!と志しました。

今は私は言わば実家から逃げるように一人暮らしを始めたのでよそもん(他人)です。
だから言えるけれど、
お母さんはもう無理をしなくてもいいし、出来ることやりたいこと、最後まで後悔なくしてほしいです。

父は、私におうちのこととかをたまにドライブしたりお出かけしたご飯屋さんでお話してくれていました。それでもやはり、私はもう父の死が近いことを悟って、
「タバコもお酒も私の前ならいくらでも吸っても良いし飲んでも良い。お父さんが味方してくれていたように、私もお父さんの味方だから」
と父親に言いました。それから2年も経たずに
父は息を引き取りました。

私は。何も考えてなかったんだ。
そう思ったのは実家に帰って母親と兄の顔を見て、
一人暮らししている家に帰った時です。
お酒を少しでも辞めてほしい。タバコ吸うのを辞めて欲しい。
そう言えば、あと1日でも、2日でも、父は生きていたかもしれない。そう思ってしまってとても悔しい感情があります。

その反面で、母親の“妻”という大きな肩書きがもう無くなり母親だけが辛いしんどいどこにもいけない。頼りになるところがない。
それが無くなったことはすごく大きいのかなと思います。
そして、父も、“父親”という肩書きもこの世界では無くなり、生きているからしなければいけなかったこと、どんなに怪我をしても、骨折をして、ボルトを何本も入れた状態で働いて働いて、亡くなるギリギリまで父親は働いていました。

もう。全てがよくなったのです。
今生きているこの、私と兄、そして母が
幸せでいること、悔いなくこの世を去って再会することが私の父の今一番の願いかなと思っています。
勝手に。

父親は、一等地の大きな家を独りで支えてきました。そして。仕事の音は漏らさず、私含め家族をずっと支えていました。

大好きでした。
だから、父親が喜びそうなものを見つけた時に、
あ!これは父が喜びそう!と思った時に伝える相手が居ないのは悲しいです。世の中には父親の好きな物で溢れすぎです。

私は父がいないこの世界が大嫌いです。
でも、今目の前で私のことを大切に思ってくれている人がたくさんいるこの世界が、
とても好きだと思います。

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