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#58"先生"でも"さん"でも
荒れている学校はとにかく口調が荒いです。それは子供の口調もそうですが、大人の口調もそうだと思います。
荒れている学校に転勤した1年目。私が1番驚いたのは、落ち着いている生徒と思われる子たちでも私の名前を呼び捨てするんです。タメ語で話をするんです。
「ピーチクこれ教えて」
「なぁピーチク。今日の授業何すんの」
以前まで勤務していた学校でも呼び捨てされる事はあったんですが、荒れている生徒のみで、ほとんど生徒は〇〇先生と言っていましたし、敬語で話をしていました。
私は先生と呼ばれるのもあまり好きではないので、〇〇さんと呼んでもらったりすることもあったんですが、さすがに「呼び捨ては何か違うな」と転勤して1年目に感じました。違和感のイメージでいうと、呼び捨てされたことに対するイライラや憤りのような違和感ではなく生徒たちの幼さに違和感を感じたんです。「中学3年生にもなってそんな喋り方しかできない。」ここに違和感を覚えました。真面目な子ですら敬語を一切使えず、すべてタメ口で喋ってくるんです。
でもここから私は悩み出します。「実はこの学校こそが最先端なのではないか」そう思ってしまったんです。そもそも"先生"とつける意味はあるのだろうか。"敬語"を使う意味があるのだろうか。そもそもそんなこと悩んだことがなかったので、改めて考えてみると頭の中が訳がわからなくなっていったんです。
むしろ以前までの学校の生徒は何の気なしに"先生"とつけているが、何も考えてなくても"先生"と言わなければいけないから言っていたように感じます。逆に言うと、この子たちは先生と言わなければいけない理由がわからず、それならタメ語を使って喋ろうという意識で喋っていたので、この子たちがもし"先生"とか"敬語"を使うようになり出すことがあるのであれば、彼らの方が以前の彼らよりも成長するのではないか。そう考えるようになったんです。そもそも私がなぜ"敬語"を使うのか、なぜ"先生"と言わなければいけないのかにアンサーできないようではダメだとも感じました。
ではなぜ"先生"や"敬語"を使わなければいけないのか。私の答えは「ここは日本だから」です。今、世界との関わりをどんどん持っていかないといけない世の中ですが、私たちが住んでいるのは日本です。日本はやはり目上の人には敬語で喋る。目上の人を立てる。というような暗黙のルールが存在するのも事実です。私が教鞭をとっているのは公立の学校なので、ほとんどの生徒が日本で活躍する大人へと成長していくと思っています。そんな日本の暗黙のルールを知っておくべきだろうという理由から、義務教育期間中は敬語を使ったり、先生と読んだりしなければいけないのかなと思っています。正直言うと私は"先生"と呼ばれるのはあまり好きではないですし、生徒とは対等な関係でお話ししたいとも思っていますが、年下が敬語ではなくタメ語で喋ってくるのにも違和感を感じますし、彼らが大人になって敬語という選択ができないのにも違和感を感じます。そういった点から生徒たちとは少し距離を置いた立場の人間になって、"先生"や"敬語"を使ってもらおうという気持ちになったんです。
その学校には何年かいることになります。1周目の生徒には途中から入ったこともあり、その内容が伝えることができませんでした。だからなのか、大人になったその学年の子たちは未だにタメ語で私に喋ってきます。彼らが大人になったということもあって、今の彼らのタメ語に関しては何も思うことがなく、むしろ本当に対等の立場でしゃべれているなという気にもなりますが、目線を変えて同じ職場で共に仕事をしたいかと言われると、私は素直にYESと言えない気がします。これは私の心が小さいのかもしれませんが...。
逆に今見ている生徒たちは、"先生"や"敬語"を使って話をしてきます。だからと言って物怖じもせず、対等な関係でしっかりと話すこともできていると思います。
こうなるまでに何を意識したのか。私は授業中の話し方です。口調が丁寧になった気がします。理由としては、敬意を持って生徒に喋られている以上、私自身も生徒に対して敬意を払ってお話しするべきだという考えになったからです。教師はどこかで生徒のことを下に見ている気がします。実際若い頃の私はそうだった気がします。そんなマウントの取り合いをするから、生徒もタメ口を聞いてくるんだと思うようになると、自分の言動を改めなければという考えになりました。
今は子供でも、これから私よりももっと立派な大人になっていく人たちばかりだと考えると、その一役を担っているのが私であり、この職の大切さに気づくことができました。そこに気づけたからこそ、生徒や教師という立場も関係なく、お互いが丁寧な言葉遣いになったのかなと思っています。
何度も言いますが、私は"先生"と呼ばれるのがあまり好きではありません。でも相手を敬う気持ちを学ぶには必要な言葉かもしれないとも思った私でした。また、いつか先生と呼ばれるのにふさわしい先生になりたいなとも思いました。