[考えてみた]アンチワーク哲学における労働概念について

久保氏のアンチワーク哲学について論じてみたいと思うが、皆が期待するような内容にはならないと考えている。その理由は、アンチワーク哲学において、重要な概念が混同して使用されているためだ。そのため、本論では概念分析を中心に論述していく。

まず注目すべきは、語「労働」の指し示す対象についてだめだめである。アンチワーク哲学の提唱者である久保氏は、語「労働」を以下のように定義している。

他者より強制される不愉快な営み

https://note.com/kaduma/n/n6ff8377e55b2

以上の定義は、アンチワーク哲学における、語「労働」の定義であり、一般的な語「労働」とは、異なる概念として捉えるべきであろう。なお、スーパー大辞林による「労働」の定義は、以下の通りである。

スーパー大辞林より引用

アンチ哲学ワークにおける語「労働」と辞書的な語「労働」の定義が異なるため、語「労働」の使用には注意を要する。

そこで本論においては、誤読を防ぐ為にも、語「労働」の概念を切り分けて論証を進めていきたいと思う。

アンチワーク哲学によって定義された語「労働」は、「労働(a)」と表記し、辞書的定義(一般的定義•解釈)の場合は「労働(g)」と表記する。異なる定義を採用している以上は、語自体を別物として扱うべきだからだ。

以下のセクションでは、語「労働」をアンチワーク哲学的定義と辞書的定義でそれぞれ別の概念として扱いつつ、双方の概念の関係性を探る。

「労働(a)」と「労働(g)」はどのように違うか。

アンチワーク哲学的「労働」と一般的な(辞書的な)「労働」の概念の関係性を検証する。再度、各語の定義を以下に記す。

「労働(a)」定義:他者より強制される不愉快な営み

https://note.com/kaduma/n/n6ff8377e55b2

「労働(g)」定義:1.体を使って働くこと。特に賃金や報酬を得るために働くこと。2.(経済の文脈において)手段を利用して対象に働きかけ財貨を生みだす活動

スーパー大辞林より

改めて、2つの定義を並べて比較してみると「労働(a)」には、「賃金を得る」「財貨を生み出す」など、人間の金銭に関わる経済活動の要素が“含まれていない”ことがわかる。したがって、アンチ哲学ワークにおいて「労働(a)」は、金銭に関わる経済活動とは無関係に存在可能な現象として捉えられていることになる。

さらに、「労働(a)」には人間の感情への言及が見られ、逆に「労働(g)」にはそれがないことが分かる。故に、「労働(a)」は人間の行為ではなく感情に着目した概念といえる。その点、「労働(g)」は定義を人間の行為に依拠しており、外部から判別確認可能な概念であるといえる。

また、「労働(a)」はその定義からして、強制する他者の存在が必要であり、「労働(g)」には強制する他者の存在は不要である。

以上のことから「労働(a)」は以下の現象を“含まない”語と言える。(現象A∨現象B⇒¬労働(a))

現象A[主体的に行う、賃金や報酬を得る為の活動]
現象B[自らの意思で行う、無給の生産活動]

また、「労働(g)」については、主に賃金を得る活動に焦点が当たっている印象を受けるが、「財貨を生みだす活動」が定義に含まれるため、以下の現象を“含む”語と言える。(現象A∨現象B⇒労働(g))※財貨=財産(作物を含む)もしくは貨幣とする。

現象A[主体的に行う、賃金や報酬を得る為の活動]
現象B[自らの意思で行う、無給の生産活動]

以上のことから「労働(a)」ではない現象A、現象Bは「労働(g)」に含むことができる。よって「労働(a)」と「労働(g)」には以下の関係が成り立つ。

現象A∨現象B⇒(¬労働(a)∧労働(g))

したがって、現象Aもしくは現象Bが真に成立する場合、「労働(a)」は否定され、「労働(g)」は肯定される。

ここで、アンチワーク哲学における語「労働」は辞書的な定義による語「労働」とは、全く別の概念であることが明らかになる。ここからさらに、アンチワーク哲学の主論「労働廃絶論」における語「労働」は、一般的に使用される語「労働」とは全く別の概念を示していることが導ける。

結論:アンチワーク哲学における語「労働」は、辞書的定義による語「労働」とは全く別の概念である。

おじさんの主張

アンチワーク哲学は、無職を自称するおじさんにとっても非常に興味深い哲学である。しかしながら、その哲学全体を検証する以前に、アンチワーク哲学における語の使用法には十分の注意を払わなければいけないように思われる。

既に論述したように、アンチワーク哲学における労働概念は、通常の日本語における労働概念とは、全く別の概念である。

また、一般的に使用される日常言語の定義を、自己都合で独自に定義し直す事は、議論全体の誤読の原因となり得るため注意が必要である。これは特に論理学のフィールドでは、再定義の誤謬とも呼ばれているが、再定義自体が必ずしも誤謬を招くとまでは言えない点は注意すべきだ。

それ故、アンチワーク哲学は労働を論じるに際し、現状のように語「労働」再定義するならば、全ての場面においてどの定義で語「労働」を使用しているのかを明示すべきである。労働と言う概念の分析を経て、アンチワーク哲学は初めてスタートラインに立つことになると思う。おわり

おまけ

オンライン英英辞書Cambridge Dictionaryでは語「work」は以下の複数の領域ごとに異なった定義の説明がなされている。

[ACTIVITY] 1. an activity, such as a job, that a person uses physical or mental effort to do, usually for money 2. the material used by someone at work, or what they produce

[PLACE] a place where a person goes specially to do their job

[CREATION] surgery (= a medical operation) that is done to improve someone's appearance

[EVERYTHING] everything that you might want or expect to find in a particular situation

[FACTORY] an industrial building, especially one where a lot of people are employed

[MACHINE]the parts of a machine, especially those that move

[PHYSICS]force multiplied by distance moved

引用参考:https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/work

以下に日本語に翻訳して記す。今回はグロックで翻訳処理を行った。

[ACTIVITY]1.人が身体的または精神的な努力を用いて行う活動(例えば仕事)で、通常はお金のために行われるもの 2.仕事で誰かが使用する材料、またはその人が作り出すもの

[PLACE]人が特に仕事をするために行く場所

[CREATION]誰かの外見を改善するために行われる手術(=医療的な操作)

[EVERYTHING]特定の状況で欲しいと思うか、または見つけると期待するすべてのもの

[FACTORY]産業用の建物、特に多くの人が雇用されている場所

[MACHINE]機械の部品、特に動く部分

[PHYSICS]力に移動した距離を掛けたもの

グロックの翻訳

ここではもう細かく論証する事は無いが、Cambridge dictionaryにおける語「work」の定義は、アンチワーク哲学的定義より、スーパー大辞林における定義に近いと思われる。

特に、感情に関わらず、客観的判断が可能である点において、Cambridge dictionaryにおける語「work」はスーパー大辞林における語「労働」の概念に近い。よって、語「work」はアンチワーク哲学的な意味での語「労働」語「ワーク」よりも、スーパー大辞林で定義される語「労働」に近いと言える。

先の論証とほぼ同じ事であるが、アンチワーク哲学提唱者の久保氏の造語である「アンチワーク哲学」に含む語「ワーク」が、語「work」の一般的定義•解釈に従うなら、氏による語「労働」の定義とは全く別の概念となり、アンチワーク哲学において、語「ワーク」と語「労働」は共通点が無くなる。

逆にアンチワーク哲学における語「ワーク」がCambridge dictionaryにて示される一般的定義•解釈とは異なり、「労働(a)」に等しいならば、語「ワーク」は語「work」とは別の概念になる。

いずれにせよ、既存の一般的な概念を、独自の定義•解釈で使用する事は、誤謬をもたらす可能性を高めるだけであり、哲学的論証の役には立たず、お気持ち哲学になり下がってしまうだけだとおじさんは考える。今度こそ本当におわり

いいなと思ったら応援しよう!