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生きなくちゃいけない >死にたい=死ななくちゃいけない>生きたい
このタイトルは、今のわたしの通常モードの死生観に関する気持ちの大きさの比較だ。
ひとつずつ、紹介していこう。
『生きなくちゃいけない』
これが今、基本的にはわたしの中でいちばん強い気持ちだ。主治医、病棟やグループホームのスタッフさん、友人、親、お世話になった学校の先生たち、SNSで繋がってくれているひとたち。たくさんのひとに支えられ、恵まれているわたしは、生きなくてはいけない。
高校3年生の頃くらいまでは、わたしが死んでも誰も傷つかないだろうと本気で思っていた。万が一傷ついたり、悲しんでくれたりすることがあっても、1年もすればわたしのことなんてみんな忘れるだろうと思っていた。でも、それは間違いだ。わたしが自死を選べば、わたしを支えてくれたひとたちは深く傷つき、悲しみ、無力感に苛まれ、少なくとも1年では忘れることはないだろう。それを、わたしは望まない。まだ、恩返しができていない。なにをどうすれば恩返しになるのかもわかっていない。だから、生きなくちゃいけない。とてもシンプルな理由だ。大事な人たちを大事にするためには、自分を大事にしなければいけない。
ただ、わたしはこの考えを他人に押し付けようとは思わない。どれだけ恵まれ、大事な人たちに支えられていたとしても、人間には死を選ぶ権利がある、と他人に対しては思う。人は、自らの意思で産まれたわけではないからだ。だからわたしは、目の前で人が死のうとしても止めることができない、と言うと少し語弊があるな。わたしは、その人の中に少しでも"死にたくない""幸せになりたい"という気持ちが感じられた場合は絶対に止める。でも、それが感じられなかった場合はきっと止められない。目の前でその人が死ぬのを見届け、どうか来世では幸せになれますように、と祈ることしかできない。でもわたしは、わたし自身は、生きなくてはいけないと思う。
『死にたい』
これが、2番目に大きい気持ちだ。ただ、通常モードでは『生きなくちゃいけない』の方が大きいのだが、調子が悪くなると『死にたい』がそれを上回るときがある。なぜ死にたいのか。それは、わたしはわたしが死ぬことでしか救われないと思っているからだ。性被害は、どれだけ上書きしてもなかったことにはできない。フラッシュバックは何度も繰り返される。こんな状態で、まともに生きていけないと思う。もう苦しい。楽になりたいのだ。何度も何度も、良くなって悪くなって良くなって悪くなってを繰り返すのはもう疲れた。繰り返したくない。終わらせたい。生きることそのもの、自分が生きていることそのものが苦痛だから、死ぬことでしか救われないのだ。もちろん、楽しいときや嬉しいときや幸せなときだってある。でもそれらをすべて、忘れてしまうくらいの苦しみが度々わたしを襲うのだ。生きることに向いていない。ほんとうに。
『死ななくちゃいけない』
これは、『死にたい』と同じくらいの大きさだ。『死にたい』と違う点は、『生きなくちゃいけない』を上回ることが今はほぼないということだ。仮に上回ったとしても、行動化することはほとんどない。でも、高校生のときは、これが1番大きかった。だから毎日のように自傷行為をしていた。トイレで制服の長袖シャツをまくり、腕を切り、しばらく止血したあとまた新しいティッシュを切った部分にぐるぐる巻いてテープで止めて、袖を元に戻してその上からいつもジャージを羽織っていた。
死ななくちゃいけない、と思う理由は、もうわたしの中で明らかになっている。全部で3つある。2つは"やってはいけないことをしたから"で、あと1つは"生きていたら迷惑をかけてしまうから"だ。わたしは、死ぬことでしか償えない罪を犯した。一度、親友に罪の内容を話したら「死ななければいけないほどのことではないと思う」と言ってくれたけれど、わたしはそうは思えなかった。わたしは多分、自分がしたことをずっと許せない。だからきっと『死ななければいけない』が消えることはないと思う。"生きていたら迷惑をかけてしまうから"、これも理由のひとつとして大きい。生きていたらお金がかかるし、人と関われば傷つけてしまう。そして、精神疾患を抱えているわたしは自殺企図などで周りに心配と迷惑をかける。そんなわたしは、死んだ方がいいに決まっているのだ。
『生きたい』
わたしは、生きたいのだろうか。これまで書いた3つの気持ちは確かに存在しているのだが、『生きたい』だけが確かではない。でも、多分、存在していると思う。でなければ、おそらくわたしはとっくの昔に死んでいる、『死ななければいけない』が最も強かった時期に。ただ、『生きたい』というよりは、『楽になりたい、幸せになりたい』という表現の方がしっくりくる。わたしはずっと、もしこの生き地獄から抜け出せたなら、と心のどこかで思っているのだ。だから死にたいのに、死ねずにいる。希望を捨てきれずにいる。それに、やりたいことがないわけではない。わたしは、一度大学を辞めているのだが、今年度か来年度、別の大学を受験する計画を立てている。辞めた大学では教育学部に所属していたのだが、学んでいるうちにわたしが学びたい場所はここではないと思った。わたしが学びたい学部は、心理学部だ、と気づいた。心を知りたい。ずっとそう思ってきた。あと、もうひとつ大きな目標というかずっと思っていることが、「こどもの心を守れる大人になりたい」だ。だからわたしは、スクールカウンセラーになりたい。そして、そんな夢があるということは、きっと生きたいという灯火は消えていないということだろう。
わたしの中にある4つの気持ちについて、つらつらと書いてみたけれど、どうだったでしょうか。自分を見つめ直すことができたので、書いてよかったとわたしは今満足しています。
では、また。