つらさが薄れるのはいいこと?
パニック障害になって、もうすぐ一年が経とうとしています。病気になって、いろいろなことがあって…本当にいろいろなことがありました。最近体調がかなり良くなってきて、病気を理解してくれる人とは外出もできるようになってきました。なのに、ふと怖くなることがあるのです。
病気のあのつらい日々が薄れつつある。
そう感じることが時々あって、怖くなる時があります。それは決して悪いことではなくて、ものすごくいいことだとはわかっています。病気がよくなってきている証なのだから。それなのに、あの時の苦しさを忘れたくない、薄れさせたくない、と思う自分がいるのです。
私はこの病気になって初めて、「人の辛さはその人にしかわからない」ということを知りました。恥ずかしながら、それまで私はとても未熟でした。かつての私は、人よりつらい経験を多くしてきたという自負がありました。小学生の時は人間関係に揉まれて深く考えたり、中学の部活もなかなかごたごたしていたり、けがをして手術や長期入院をしたり、両親の喧嘩に悩んだり、拒食症になったり…。そんな私は、友達から相談されたとき、友達の経験を自分の経験から想像して「私もその気持ちわかるよ、ほんと辛いよね」と言っていました。
そんないろいろな経験をしてきて、わかったような気になっていた私に、今まで全く経験してこなかった、全く理解できない想像を超える苦しさに襲われます。それがパニック障害でした。私はその時気づきました。自分の理解しきれない苦しさや辛さがあるということを。そう気づいたときはっとしました。「その気持ちわかるよ。」そう今まで友人を励ましてきたけれど、本当にその人の気持ちを理解することなどできないのかもしれない。
話を戻すと、なぜ辛い経験が薄れていくのが怖いのかというと、こういう「気づき」まで薄れていってしまいそうで怖いのです。病気になっていろいろなことを自分なりに考えて、いろいろなことに気づきました。自分が理解できない何かをその人は乗り越えようとしているのかもしれないこと。寄り添うこととわかったようなふりをすることは違うということ。勝手に自分の経験を相手の経験に投影するのは正しくないこと。そういう気づきまで薄れていく気がしてしまうのです。だから、こうしてここに記して、忘れないように刻み付けておきたいです。
時間がたてば記憶は薄れていくもの。だけど、やはり薄れたくないもの、忘れたくないもの、それをまたこの投稿を読んで思い出せればいいな、なんて考えています。長文読んでいただきありがとうございました。