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本屋さんのダイアナ / 柚木麻子

こんばんは。
青井あるこです。

2016年に新潮文庫から刊行されている(※他にハードカバー版も有り)柚木麻子さんの「本屋さんのダイアナ」を読みました。

育った環境が正反対の二人の少女によるガールミーツガール小説。
二人には本が大好きという共通点があった。

キャバクラ勤めでろくに自炊もせず娘の髪を金髪に染め、自分のことを源氏名の”ティアラ”と呼ばせる母の元で育ったダイアナ。外国人の血など一滴も入っていないうえに、”大穴”と書いてダイアナという名前はいつも周囲の子どもたちの嘲笑の対象であり、自分の名前もそう名付けた母親のセンスも大嫌いだった。

一方で彩子は出版社勤めの父親と料理教室を開く母親のもとで育ったお嬢様。小学生ながら品の良い振る舞いをする彩子に、ダイアナは密かに憧れていた。そんな彩子がダイアナを揶揄したクラスメイトに立ち向かい、名前を褒めてくれたことから二人の友情は始まる。

ネタバレがありますので、以下ご注意ください。

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ダイアナは落ち着いていて教養や包容力のある彩子の両親や家庭に憧れる一方で、彩子は自由にゲームをやらせてもらえたり一人で買い物に出かけたりピンクやきらきらに満ちたダイアナ自身や彼女の家庭に憧れていた。

だけど不思議と彼女らはお互いにお互いのどこに憧れているか尊敬しているかを口にしない。いや、伝えているかもしれないが、受け取る側が「いやいや、私なんて…あなたのほうがよっぽど優れている。こんな私と仲良くしてくれてありがとう」という風に謙遜のようなものを抱いている。

現に彩子が教室で宿題の日記を朗読したとき、母・ティアラを「とってもきれいでたのしくて、まるでお姫様のような人です」と表現されたダイアナは、彩子が気を遣ってくれているだけだと感じている。

実際には小学生の彩子にとって、くるくるとカールした金髪に派手なお化粧、壁に掛かったキャバクラ用のドレスなどは本当にお姫様のもののように映ったのだろう。

二人は共通の愛読書『秘密の森のダイアナ』や、お互いの家に通うことを通して唯一無二の親友になっていく。

しかし彼女らの友情は些細なすれ違いから破綻し、小学校卒業間際からその後十年間も口を利かない関係となる。

原因は彩子の誤解とダイアナの説明不足、そして武田くんという同級生の男の子だ。

小学校六年生の冬、彩子は私立中学に通うべく受験勉強の真っただ中、しかも未だ慣れない生理の不快感から余裕を無くしていた。励ましてほしかったのに、そんなときに限って親友のダイアナが武田君と寄り添って歩いているのを目撃してデートか、親友より男が大切なのか、と憤って二人に詰め寄る。

実はダイアナはこれまで一度も訪れたこともなかったティアラの実家、ダイアナにとっては祖父母が暮らす家を突き止め、結局呼び鈴を押すことはできなかったのだが、訪ねてきた帰り道だった。

十六歳で自分を生んで子供に大穴なんて変な名前を付け、水商売をして考えもちゃらんぽらんだと思っていた母・ティアラの出自が意外にも良家であったことや名門私立中学に通っていたという今まで知らなかった部分を知って動揺するダイアナは、彩子に祖父母の家を訪ねたということを伝えられなかった。

たったそれだけだ。そこから彩子はダイアナを無視するようになり、二人の仲は修復されないまま卒業を迎え、名門私立中学と地元のヤンキー中学という全く別々の道を歩き始めることになる。

二人はまだ小学生で、幼過ぎた。もう少し大人であれば例え一時的に喧嘩をしたとしても落ち着いてから説明をして誤解を解くことができたかもしれない。

だけど母親に自分が知らない一面があることやそれを意図的に隠されているのだと気づいたときのダイアナのショックは相当なものだっただろうし、表現することが苦手だと感じていた彼女に自分の気持ちを説明する気力は無かった。まして彩子のことを住む世界が違うお嬢様だと、どこかでコンプレックスを抱いていたらなおさらだ。

一方で彩子がショックを受けたのは、親友のダイアナが自分には何も言わずに男の子と二人で出かけているということだった。彩子もダイアナも男の子が苦手というか関わり方がわからないようだが、とりわけ彩子は早くに身体が発育したことで男子にからかわれた経験があり、苦手意識が強かった。そして意地悪な男子から守ってくれるのは、いつもダイアナだったのだ。だからどんな時でも味方でいてくれると信じていた相手が、自分の敵と仲睦まじく歩いている様子に裏切られたように感じたのだろう。

私たちは完璧だと思っていた友情が、異性の登場によって壊れるということはフィクション・ノンフィクション問わずよく起こる。

例えば友だちと好きな人が被っただとか。友だちが恋人ばかりを優先するだとか。

どうして私たちは、女性は、恋愛の相手を巡って争わなければいけないのだろうとときどき思う。例えば恋人が浮気をしていたから、その浮気相手と喧嘩してやった! なんて話もときどき聞くけれど、冷静に考えたら浮気をする恋人がそんなに大切だろうか? もちろんそんなに簡単に割り切れる話ではないというのは分かっているけれど、事情にもよるが、浮気相手の女性も彼に他に女がいることを知らなかったのだとしたら、むしろ彼女のほうが浮気性の男という共通の敵を前にして、味方ということになるのではないだろうか。

だけど浮気をした男より相手の女が憎いのは、その男から自分だけが得ていた愛情という栄誉を奪われたからだと思う。

どうして私たちはときどき、自分の価値の基準を男性の評価や愛情に任せてしまうのだろう?

しばらく前に俳優の石田ゆり子さんについて書かれた週刊誌をたまたま見たことがある。彼女はご存じの通りの美人だし仕事も順調で趣味も多く資産もあるらしい。そんな完璧だ、と思える彼女の生き方にその週刊誌は「あと足りないのは男だけ」というような文句を書いていたのだ。

詳細を読んだわけではないけれど、その一文が余りにも衝撃的だったので印象に残っている。

あれほど成功していて人生を謳歌しているように見える石田ゆり子さんさえ、恋人や配偶者がいないというだけでそんな見られ方をされなければならないのか。

例えば彼女と同じような世代の40~50代くらいの成功した俳優や起業家、会社員でもなんでも男性であったならば、結婚をしていなかったとしても独身貴族だとか魅力の一種として評価されることもあるだろう。(これももちろん人によると思うけれど。)

どうして女性というだけで、その人が人生を楽しんでいたとしても生活のなかに交際する男性がいないというだけで、かわいそうだとか行き遅れだとか言われなければならないのだろう。

その後、彩子は中学・高校を女子校で過ごし、名門学校の護られた雰囲気に嫌気が差して驚愕の私立大学へと進学し、同級生に紹介されたサークルで榎本という男性の先輩に出会う。

同じく子どもの頃から異性が苦手で高校生くらいまでクラスメイトの男の子ともまともに話せず、共学の私立大学に入学・卒業した身としては、「あー彩子ちゃん駄目だよー。そいつは絶対やめておいたほうがいいよー」と思うくらいに榎本先輩からは軽薄そうな、チャラそうな匂いがぷんぷんとしていた。

結局彩子は新歓のイベントで正体を無くすほど酒を飲まされ、レイプされてしまう。そう私にとっては榎本先輩が行ったあの行為は紛れもなく強姦だと思う。しかもそれが彩子にとっては初体験だったのだ。

彩子は自分が所謂お嬢様育ちであることにコンプレックスを感じていたようだ。優等生といっても両親や名門女子高に護られてきただけで、ダイアナやティアラのように自力で生きていく力は持っていないし、なによりお嬢様という雰囲気を周りの同年代の学生から”ダサい”・”子供っぽい”と馬鹿にされることを嫌がっていたように見える。

彩子の感情には共感してしまう。今思えば大学生だって充分に幼いと思うのだが、当時は大学に入った瞬間に、入学式の日に黒いスーツで広大なキャンパスを歩いた瞬間に、先輩たちが色んなサークルや部活のビラも持って自分に声を掛けてくる瞬間に、大人になったような気持ちでいた。

それと同時にその瞬間から、大人にならなければ、何かを成し遂げなければという焦燥感に常に追われることになった。

それは彩子のように初めてにも関わらず何食わぬ顔で酒を飲んだり、派手なタイプの先輩たちと気が合うような素振りをして一緒に過ごすことも含まれている。

結局彩子は自分が無理やりに身体を奪われたという事実を受け入れられず、榎本先輩が好きだと暗示を掛け彼と付き合うことによって、あれは合意のもとだったのだと事実を捻じ曲げてしまう。
そしてその事実から目を背けることに、貴重な大学生活の四年間を費やしてしまうのだ。

蝶よ花よと育ててくれた両親にはまさか自分はそんな目に遭ったなどとは言えない。言ってしまえば二人を悲しませることは想像に難くないし、何より自分自身でこれは現実なのだと認めてしまうことになる。

だから両親にとっては今まで真面目で清楚で優等生だった娘が、大学生になったら急に不良になったと感じてしまうだろう。彩子はこれまでとは違い、両親ではもう今の自分を護れないのだということを悟り、自分で自分を護ろうとした結果の大学生活だったのだと思う。

大学生活を楽しんでいるきらきらとした女子大生という虚構を纏い、両親には誤解され、大学ではまともな友だちはできず、かつての親友とは音信不通という状況がいかに孤独だったかと思うと胸が痛む。

そんなときにダイアナがいてくれたらやティアラが傍にいてくれたら。彼女は素直に頼れていたかもしれない。

だけど彩子は自身に掛けた呪いを自分の力で解いた。身体の奥にしっかりと染みついていた二人のダイアナ―かつての親友とお気に入りの物語の主人公の力を借りて。

彼女はかつての自分と同じように酒を飲まされ身体を奪われそうになっていた後輩を救う。そしてとうとう自分は強姦の被害に遭ったことを認めた。彼女が後輩を救ったことで、同じような被害に遭ったけれど黙っていることしかできなかった複数の女性たちが声を上げたし、最終的には問題のサークルを大学のセクハラ防止委員会に告発までした。榎本先輩ともきっぱりと別れることができた。

だからと言って彩子の傷が無かったことにはならない。世界中からセクハラの被害が消滅したわけでもない。だけど彼女の勇気は顔も名前も知っている後輩を確かに一人救ったし、他にも被害に遭った女性たちの呪いを解く手助けになっているだろうし、数人かも知れないが被害を未然に防ぐこともできた。

何より彼女は弱さや幼さなどを認めることで、本来の自身の強さを手に入れたように思う。
そして彩子の強さによって、親友・ダイアナは自分の呪いを解くことができた。

自分が生まれる前に出て行った父親の影をずっと追い求め、書籍編集者で落ち着いていて本の好みも合う大人の男性として彩子の父親に理想を重ねていたダイアナ。高校卒業後に憧れの書店でアルバイトとして採用が決まると、ティアラが本当の父親を教えてくれる。それはなんとあのお気に入りの少女小説『秘密の森の作者』である謎の作家・はっとりけいいちだと言う。まさかの展開にダイアナも嘘を吐くにしてももっとマシな嘘が付けるでしょう、とばかりにティアラに腹を立て、親子の関係が冷え込んでしまう。

しかし本当にダイアナの実父はあのはっとりけいいちであり、あんなに夢中になった物語を書いた人なのだから、きっと教養もあって文化的な素敵な人なのだろう、きっと自分が知らないような知る人ぞ知るような本を選んでくれるだろう、と期待を膨らませるが、実際に現れた父親は貧乏で見た目もボロボロでデキ婚する予定があって、挙句万引き犯だった。

ダイアナに掛かっていた呪いは、人間関係が上手く築けないことや人生がうまくいかないことを変わった名前や母親、父親の不在のせいにしていたこと。理想から外れた相手や現実を見限ってしまうことだった。

ダイアナと実父に再会のチャンスを与えたいと考えたのも彩子だし、ダイアナの元から黙って去ろうとする彼を追いかけるようにダイアナをけしかけたのも彩子だった。

十年ぶりの対面。久しぶりだね、という挨拶や近況をうかがう言葉よりも先に彩子がダイアナに伝えたのは「誰にでも胸を張れる完璧な人間なんて居るわけない」、「自分で自分を狭いところに押し込んじゃいけない」ということだった。

この言葉はきっと十年前の優等生の彩子には言えないことだ。例え言えたとしても重みを伴わず、誰の心にも届かない。傷つき、その痛みに立ち向かって呪いを解いたからこそ、そして自分自身に呪いを掛ける辛さを分かっているからこそ言える言葉だろう。

彩子の叱咤のおかげでダイアナは父親ともう一度話すことができ、完全ではないけれど胸につかえていたわだかまりを解くことができた。

そしてティアラと彩子は”本屋さん”となったダイアナに、本を選んでくれるようにお願いする。ずっと父親に本を選んでもらうことを夢見ていたダイアナが選んであげる側へと変わった。言い換えれば求めてばかりだったのが、与える側へと一歩踏み出したのだ。

そしてそんなダイアナに彩子が切り出す。
「あのさ、今日、仕事何時に終わるの?」

ここからまた親友二人の時間が重なっていく。
見てきた景色は違うしこれから進む道も一緒ではないだろうけれど、それでも分かり合える。次に会う時が例え数年後でも、昨日会ったばかりのように話ができる。そんな親友になっていくのだと思う。

だって二人は離れていても十年も口を利いていなくても、お互いのピンチにはお互いの心のなかにいたのだから。そして一緒に呪いを解いたのだから。

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