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オードリー若林さんを想う

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オードリー若林さんについて綴ったnoteの纏めです
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#エッセイ

オードリー若林さんの次なるエネルギーの発散先とは?

「(テレビの出演数ランキングの)この20位見る限りさ~、一番俺がテレビを楽しんでないだろうね。…(中略)…俺が一番疲れてんじゃないかな」 「坂道を駆け上がっているっていう感じではないね。大平原を体が壊れない感じで走ってるかもしれない」 「誰かに悩み相談したいんだけど、誰にすればいいかが分かんないんだよね」 「決めてほしいのよ、もっとテレビに出たほうがいいのか、抑えて何々した方がいいわよ、なのか、何を頑張ったほうがいいわよ、っていう」 「突拍子もないプロデュース方法を言

オードリー若林さんが向き合ってきた『傷』とは?

「物心ついた時から今日までの傷がなければ、土曜深夜1時から3時に12年間喋り続けることも、(中略)この本を出版することも絶対にできなかった」 「痛みを構造的に理解しようとしてきた」 「傷と向き合ってきた。それだけが今の俺を支える自信だ」 文庫版『ナナメの夕暮れ』に新たに加筆された文庫版のためのあとがきの中で、過去を振り返る若林さんから差し出されたパンチラインからは、若林さんを形作ってきたものが、傷であり痛みであり、それらと向き合い、腹に落としてきたプロセスであることが明

オードリー若林さんを隔てる思考の特質性とは何か?

芸人さん全員がもれなく震撼する瞬間とは、どのような瞬間であろうか。 数多の芸人さんがいる中で、その価値観は様々であり、琴線に触れるものは当然一色淡ではない。 だが、『人志松本の酒のツマミになる話』で、松本さんが語った休みの日の過ごし方は、間違いなく全芸人さんが震撼するものであった。 本日は、戦慄の松本さんの休日、そして若林さんの休日の過ごし方を通じて、突き抜ける人の持つ共通項を紐解き、そのプロセスの中で見えてきた若林さんを隔てる思考の特質性を言語化していきたいと思う。

なぜオードリー若林さんに惹かれるのか

『ほとんど人生は「合う人に会う」ってことで良いんじゃないかって思った。それは、家族だし、友達だし、先輩だし、後輩だし、仕事仲間だし、ファンだし、相方だし。そういった合った人にこれからも会えるようにがんばる、ってことが結論で良いじゃないかなって思った。』 オードリー若林さんの著書 "ナナメの夕暮れ" がこの結論で結ばれた時、かつてない「そうだよ、これなんだよ、、、」という感情が湧き上がってきて、心底嬉しかったことを覚えている。分かりやすく感動したのである。 若林さんは今を時

2周目に入った「あちこちオードリー」と大人達がオードリー若林さんに抱く思惑

今週の「あちこちオードリー」、ゲストはCreepy Nuts、前回の出演から約1年振り2回目の登場だ。 この1年でテレビの出演が増え、テレビに対する考え方や所作が変わってきた事を中心に話が盛り上がる(来週も楽しみだ◎)。 「あちこちオードリー」もレギュラー化して1年と4ヶ月が過ぎ、2周目のゲストを迎え、いよいよフォルムが固まってきた。 ゲストにとっては、普段のテレビでは言えない本音やメディアでの発言の裏に隠されている思惑などを語れる場となっており、 ゲストの違う一面や

オードリー若林さんが内蔵する3つのスタンドと輝くフィールド

前回の投稿で若林さんの独自の価値を、 『人の内面に眠る真理を、独創的な着眼点と言語化の才能を駆使し、笑いの世界観で紐解く力』 とそれっぽく表現してみた。 うん、何ともそれっぽい。どことなく成立している感がある。 このそれっぽい表現をキャッチーにすると、 若林さんって、 哲学者×作家×お笑い のスタンド使いだよね、ということだ。 この複数スタンドの内蔵が若林さんの他芸人さんとの絶対的な棲み分けだ。 この3つのスタンドミックスはフィールドにより配分が変わり、その配分がその

自己肯定感で救いを与えるオードリー若林さんと現代日本社会のチャップリン

noteで若林さんに関する色々な方の投稿を読ませて頂いていると、「若林さんに救われた」と表現している方が少なくない事に気づく。 「好き」を超え「救われた」と。 なぜ若林さんに「救われた」と感じるのだろうか。この「救われた」とは具体的にはどのような状態なのだろうか。 どうやら最近よく耳にする「自己肯定感」という言葉が、本件の解像度を高めてくれる鍵となりそうだ。今回はここを起点に若林さんの人気の秘密を紐解いてみたい。 現代社会のパワーワード「自己肯定感」「救われた」という言

オードリー若林さんの人間臭さと探求心の先で出会った僕たち

先月末に更新された若林さんのnoteは、内容としてはエッセイの続編のような位置づけで、僕ら読者が渇望していた若林さんの思想が独自の表現で語られたものであり、「こういうの待ってたんですよ〜!」と久々に興奮した。 (エッセイを読んだ方には是非読んで頂きたい内容です) 若林さんのエッセイやnoteは、芸人とは思えない切り口と掘り進めた思考の道筋に、芸人としての体験を乗せ、独自の言葉で表現しているところが、この世で唯一であり、支持される理由だと思う。 (チョイスされている言葉は心理

深夜の公園でバスケに没頭するオードリー若林さんと継続の仕組みが欠落する管楽器の演奏

若林さんは、エッセイ「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」の中で、サル山と資本主義の格差と分断から自由になる隠しコマンドは、"血の通った関係と没頭"であると綴った。 "血の通った関係"は、エッセイ「ナナメの夕暮れ」の結論『合う人に会う』にも通じており、若林さんの中で一貫して大切にしている価値観だ。 ※『合う人に会う』についてはこちらをどうぞ「なぜオードリー若林さんに惹かれるのか」 等身大“没頭”については、”等身大”であることが通行証なのではないかと思っている。

なぜオードリー若林さんのエッセイは心地よいのか

誰しもが心地よさを感じるオードリー若林さんのエッセイ。 自然な時系列に波打つように散りばめられた伏線と回収。時より差し込まれる内なる呟きが行間を埋め、繊細な言葉のチョイスに彩られた末尾が頁を進ませる。 僕らの脳内に溶け込んでいくこの心地よさ、どうやらまだ「何か」が隠されているようだ。 オードリー若林さんの『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』の文庫本が発売になったので、改めて旅行記を堪能した。 若林さんのハニカミと心拍数が伝わってくるような情景描写、愛らしくキャラ付け