なんでもない連鎖のなかで

おじいちゃんが死んだ。元旦の次の日だった。

お葬式でお坊さんが念仏を唱えている最中、目の前の遺影と飾られた花を見ながら考えていた。
先祖代々が長く続けてきた遺伝子の列、その最後尾に私が今たまたまいるということ。
そしてこの流れは(おそらく)この先も続いていく。
そう考えるとこの連続する列自体は尊いものかもしれないが、私という存在は列を構成する一要因であるだけで、大きな視点から見れば単体ではそこまで意味を成さないんだろうなと思った。
こう書くと随分悲観的な感じがするが、決してそういう意味ではない。
うまく言えないけれど、自分が存在している意味を軽くして、楽観的になれる気がしたのだ。


おじいちゃんは昔役場で働いていたという。
そして定年後、海のライフセーバーと役場勤めの時から続けていた百姓をしていた。
無口であるが、大事な時にボソッと大事なことを言う人だった。
質素で堅実な暮らしを続け、最後まで野菜を作って出荷をし、北海道から来たひ孫の顔を見てその翌日に死んだ。
亡くなる日の午前中、近くに住む親戚と集まった時に滅多に出ないおじいちゃんの話をしていた。
親戚の一人が結婚する時に周りが猛反対する中、おじいちゃんだけが味方になってくれたという話だ。その人は凄く感謝しながら語っていた。
タイミングというか、巡り合わせ、予感、感覚的にしか説明できないもの、そういったことはあると思う。


火葬場で骨になった姿を見て思った。
人間は、自分が思っているよりもずっとあっけない。
色々なストーリーがあれど終わりは平等で、みんなこうして骨になるのだ。
それは昨年父が亡くなった時も同じことを思った。
あの世には家も車もお金も何も持っていけず、最後に残るのは経験と思い出。それと身近にいた人たち。身近にいた人たちは、自分が死ぬまでの間どう生きてきたのかを表す。


参列していた一人が「もう一度若い時に戻って人生を楽しみたい」とつぶやいていた。
年を取って自分がこの世からいなくなる時のことを考えると、たしかに怖いだろうなあと思った。多分自分が想像している以上に。
しかし別にいつかいなくなるという事実は誰だって例外ではないのだ。
自分としてこの感覚を持って生きるのは1回、そしてそれは自分にとっては特別なことで奇跡といえるかもしれないが、広く見るとそれほど特別なことではないように思う。生命の一過程として。
人によって捉え方は異なるかもしれないけど、冒頭に書いたように私はそのことに救われたような気がした。
意味のない人生の中で小さい自分なりに意味を見つけて、それを全うしていけばいい。と今は思う。


最後までその姿を見せてくれてありがとう。
それと私を存在させてくれたことも。
おじいちゃんは海に還ったのかもしれないな。純粋な目をしたままで。


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