見出し画像

【800字書く練習】「延長」について

 阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』光文社、2024年。

本書pp. 81-86「3. 長いパラグラフをつくる」で、「長いパラグラフを書くことへの抵抗を除去し、メカニズムに慣れ、なるべく意味ある記述のみによって字数を増やす方法論」(p. 85)について触れられています。その具体的な訓練として、「800字や1000字といった字数設定で、単発の長いパラグラフを何本も書くトレーニング」(同頁)が薦められています。というわけで、その練習を試行的にやってみることにしました。今回は「延長」について。内容の是非はおいといて、自分なりの論理で分量をどこまで増やせるかのトレーニングです。

(以下、トレーニング文章)

 知的刺激は、記憶を明晰化し、意識の領域に浮かび上がらせ、その意味を理解させる。筆者の小学生時代、下校途中に畦道を歩いていた時のことである。ふと「ぼくが移動すると、今いる場所が空いて、隣の場所をぼくが埋めるんだ」と考えたことがある。すなわち、「現在自分が占めている空間から移動すると、連続−隣接する別の空間を新たに占拠する」と考えた。哲学上の「延長」については、たとえばデカルトのように、長さ、広さ、深さにおいて広がっているようなもの、すなわち物体のこのような空間上の広がりのことを指すという定義にとどまらず様々な定義があり得るが、「ある事物からたとえば〈赤い〉、〈10cm〉などのあらゆる性質を取り除いた空間における広がりである」という延長に関する解説を聞いた際、このエピソードを思い出した。そして、当時考えていたことが延長のことであったのだということを意識し理解することができたのである。この事態が生起するには、まず小学生時代の筆者が畦道で抱いた思考が、少なくとも潜在的な記憶として保持されていることが前提となる。しかし、潜在的記憶は明確にラベリングされておらず、いつでも自由に取り出せるものではないため、単独で意識に上ることはない。なんらかの知的刺激、この場合「延長に関するある解説」が必要なのである。この知的刺激が潜在的記憶を無意識の領域から喚起し再結集(remember)し、「そういえばあの時、今の話と同じようなことを考えた」という形で意識化される。同時に、延長に関する解説という知的刺激と潜在的記憶の間に類似性が見いだされ、「畦道での思考の記憶=延長」という理解が得られるのである。すなわち、当時の記憶と現在受けた知的刺激との関係性が分析・構築された時、ようやく記憶に意味が付与され理解に至るのである。このように、知的刺激は潜在的記憶を意識の領域に喚起し、両者の関係を構築することにより潜在的記憶に意味を付与するのである。(817字)

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集