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初海外(昔の自分を罵りたい)

初めての海外は、19歳のころのエジプトでした。まだ関西空港ができておらず、伊丹空港からシンガポール乗り継ぎでカイロに飛びました。

まったくもって無知で、カイロに到着するまでにも困惑することがたくさんありました。私は海外旅行どころか、飛行機に乗るのも初めてだったのです。

まず海外旅行1回経験ありという友人の助言に従い、荷物は預けずに機内持ち込みにしました。大きなバックパック1個です。機内の上にある荷棚には入りきらず、足下に置いて非常に窮屈でした。通路側に座っていましたが、窓側の人がトイレに立つときにも、私の荷物が邪魔で迷惑をかけました。荷物を預けるとロストバゲージや盗難が心配だからというのが友人の理屈でしたが、友人の助言に従ったことを激しく後悔しました。今から思うと機内の荷棚に入らないサイズのバッグを、よく機内に持ち込めたなと思います。

また私は何を考えていたのか、荷物に鉈(ナタ)を入れていました。国内でキャンプする際によく鉈を持参していたため、その延長で海外でも使うかなと考えていたのだと思います。そんなものを機内に持ち込めるはずがないのですが、これもX線検査をすり抜けて持ち込めてしまいました。そしてキャンプでよく使う携帯サイズのガスボンベも入れていましたが、これもおとがめなしでした。当時の伊丹空港のセキュリティの甘さが、今更ながら心配になります。

シンガポール航空の機内では、キャビンアテンダントさんたちの美しさに度肝を抜かれました。こんなきれいな人に今まであったことないぞと。容姿のみならず、立ち居振る舞いとか物腰なども含めてです。狭い世間で生きていた田舎者だったのです。

シンガポール空港の乗り継ぎでは、どこのゲートに向かえばいいのかよくわからず、搭乗券を空港スタッフに何度もみせて場所を教えてもらいながら移動しました。

シンガポールからカイロに向かう便は、ドバイでワンストップがありました。ですがそんなことを知らない私は、ドバイ到着時にカイロ到着と勘違いし、飛行機を降りようとしました。途中で全員が席を立っていないことに気付き、CAさんに「カイロ?」と尋ね、「ドバイ」と笑顔で諭され、席に戻るという恥ずかしい体験もしました。

カイロでの入国審査については何も覚えていないので、すんなり入国できたのだと思います。空港から出て、タクシーに乗りました。

「市内中心部に行ってください」と英語で言おうとしましたが、英語が出てきませんでした。かろうじて「シティセンター」と絞り出しました。中学・高校と英語を勉強していたため、ある程度話せるだろと高をくくっていたのですが、とんだ大間違いでした。外国人と外国語で話した体験も、この旅行以前にはなかったのです。「英語話せるだろ」などとよくも考えていられたなと、自分の愚かさに呆れます。

カイロでは2泊分のホテルを事前に予約していました。タクシーの運転手にもそのホテル名をメモしておいて渡せばよかったのですが、その程度の知恵も働かないおばかさんだったのです。

タクシーの運転手も私の要領の悪さにあきれたでしょうが、まあなんとか行き先のホテルも理解してもらい、空港を出発しました。そして私は、まだ両替をしていなかったことに気付きました。やばい、オレ日本円しか持ってないぞとかなり焦りましたが、友人(荷物の助言をくれたのとは別のまっとうな友人)から、餞別で10米ドル札をもらっていたのを思い出しました。タクシーがホテルに到着し、運転手に10ドル札を渡してこれでOKかと訊くと、
すんなり受け取ってくれてほっとしました。今から思うと払い過ぎだったのだと思います。というか、タクシー乗る前に値段を交渉して確認しとけと、30年近く昔の自分を罵りたいです。

エジプトに着いた後にどうするかはまったく決めていませんでしたが、結局「エジプト→トルコ→ギリシャ→トルコ→シリア→ヨルダン→イスラエル→エジプト→スーダン→エジプト→シンガポール→マレーシア→タイ→マレーシア→シンガポール→大阪」と8ヶ月くらい旅しました。

旅の最初からこんな調子だったので、それ以降の旅もすったもんだが山盛りありましたが、まあそれはまた別のはなしということで。


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