逆張りひねくれ陰キャオタク、いつの間にか文学を理解する
俺、ひねくれ野郎15才。高専生
親父が逆張り人だったせいで自分も逆張りしてた。
小学生になるとき、3DSかパソコンどっちかやるって言われて
逆張りしてパソコンを買ってもらった。
まだガキだけど大人のふりしてインターネットしてた。
School daysみたことなかったのに、誠氏ねって何回も言ったし、
女叩きは欠かせないし、まとめサイトのコメント欄をあらすこともボクの青春の1ページだった。
インターネットでは文系は馬鹿にされてたから、理系が偉いっておもって、あと俺ガイル見て、論理的に説明することを心がけた。
学校の先生が本読めって言うから、逆張りして本読まなかった。
それがステータスだと思ってた。
特に文学作品。
文学作品は全然論理的じゃないし、謎の比喩多いし意味わかんないって。
ひろゆきとかが馬鹿にしてるのみて「そうだそうだ!」って思って
でも気づいたわ
やっとここで
文学ってのは俺みたいなやつにあるんだって
ひねくれた陰キャ、おれはこんな奴らとは違うっておもってるやつ
そういう奴らのためにあったんだ
それだけ
漏れ流文学の楽しみ方
でもさ、文学ってのはあんまりひねくれたやつは見ないんだよな
逆にいまは教育、つまらない大人が子どもたちに無理やりみせる物になっちゃってる。
なんでこんな事するのかな
ボクが思うに、大人たちは不安なんだと思う。
子供が自分の言う事を聞いてくれるか心配で心配でならないの。
だから文学の楽しみ方とかをなんにも説明せず、難解なものを音読させて、
そしたら「良い」子どもたちはその指示を従ってくれて
それで安心したの。
まぁこれはボクの超非理論感情的かつ憎悪的考察なので気にしないでもろていいんやけど、
とにかく!
なんかしらんけど文学の楽しみ方ってのがどこにも書いてなんじゃー!!!
だから俺流の楽しみ方をおしえるね☆
まず、俺らひねくれ陰キャオタクはノスタルジックがとっても大好きだろ?(ここで決してエモいという言葉を使ってはならない。なぜならエモいという言葉は何も考えていないティーンエイジャーが使うものだからだ。)
そして、そのノスタルジックには様々な論理的に説明するべきものを土台として感じるやろ?でもさ、それを素直に論理的に説明するのってひねくれやろうとしてのポリシーに反するやろ?
そこで何をすればいいか!
ボクの今の心の中とか考えていることを再現できるような言葉を並べるんだ。
例えば、オナニーのあとに無償に虚しくなることがあるだろ?
それを表現するにはどうすればいいか。
「カビ臭い湿った畳の匂いに包まれて、果たせないであろう生殖器の夢は冷たく鮮やかなるティッシュに思いを馳せる。
流石に換気しないとまずいと思い賢者モードの俺は汚くてでも繊細な我が巣にツンと鼻腔を刺激する夜風を招く」
こんな感じ。
僕が思うに言葉っていうのは不可逆圧縮ファイルみたいなもんだ。
うまく圧縮(語彙)ができればほぼ完璧にその人の心情をコピーすることができる。
つまり雰囲気と解凍を楽しむんだ。
不可逆圧縮ファイルを自分だけのプロトコルで解凍していく。
これ、めっちゃたのしいです。
いや、ごちゃごちゃ言ったけど雰囲気をたのしんでください。
僕も雰囲気しか楽しんでないもん
え、てかよければ教えて?ほんとに
ネットみても出てこねぇよ
これ自体無粋かもしんないけどさぁ
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