ストーリー作法の基本②"物語内容"と”ストーリー”(題材はどこにでも転がっている)
前回、「プロット」という言葉の意味について少し説明しました。そこで私は、プロットとは「ストーリーの材料を作者の意図に沿うように構成したもの」にすぎないと述べました。プロットとストーリーの違いについて詳しく説明しはじめるとそれだけで一回の講義内容になるので、ここでは前回の説明に少しだけ付け加えます。
日本語の「ストーリー」という言葉は、普通どんな意味で使われているでしょうか。大抵それは、映画や小説で、観客や読者が「深読み」せずに受け止めることのできる、様々な出来事の全体を指しています。「あらすじ」にもっと具体的なシーンのディテールを加えたものと考えてよいでしょう。登場人物たちの来歴や性格に関しては、それが具体的な場面として描かれている場合にのみ、「ストーリー」の一部と見なされます(英語で”backstory”と呼ばれる、登場人物の「生い立ち」は含まれないということです)。
一方、英語の”story”という時、作中で描かれない出来事も含まれている場合もあります。物語の学問的研究分野に「ナラトロジー(物語学)」というものがあり、そこでは”story”という言葉に、作中人物が会話の中で触れたり語り手がさりげなく触れたりする”backstory”も、”story”に含まれるのです。このように解釈された”story”は、「物語内容」と訳されることがあります。「物語内容」は、作者が示唆している「ストーリー」外の細部を読者や観客が想像力で補完することで完成される、物語の全体像だと言えるでしょう。
これは創作家にとって役に立つ区別であり、概念です。
それは第一に、読者や観客は普通、登場人物達の「生い立ち」をある程度知ることによって初めて、架空の他人である彼らに共感できるからです。つまり、主人公や主要な登場人物が意識するよりも先に「物語内容」の一部であるそれらを読者や観客に示すことで、彼らに対する共感の下地ができるのです。
具体的な例を挙げましょう。映画『トゥルーマン・ショー』では、主人公の青年トゥルーマンだけが、自分の住む街が実はリアリティーショーのために作られた巨大なスタジオであることを知りません。観客は映画の早い段階で青年が置かれている立場を理解します(勘のいい観客は、映画の冒頭に置かれたショーの監督クリストフや出演者達のインタヴュー、鏡の向こうに隠されたライヴ・カメラからの映像を見た段階で気づくでしょう)。リアリティショーの登場人物としてのトゥルーマンには、彼の行動を制限するために偽物の「生い立ち」が与えられていますが、映画の観客には、それを描いた回想シーンさえも隠しカメラで撮影されたものであることが示唆されます。ショーの視聴者や出演者、スタッフ達はこの映画でエキストラ的な扱いですが、映画が前半で既に、彼らがショーを見たり商品を宣伝したりするシーンがしばしば挿入されています。そのため観客は、主人公よりもずっと先に、彼がいつか直面しなければならないはずのアイデンティティの問題とその探求・発見という「ストーリー」を予感していて、主人公の主体的行動によってそのストーリーが本格的に展開するにつれて彼に共感してゆきます。
『トゥルーマン・ショー』は分かりやすい例ですが、多少なりとも複雑なドラマ性のある物語作品では、「物語内容」は「ストーリー」よりずっと大きな広がりを持っています。読者や観客に物語内容の広がりが作中で示されているからこそ、主人公のストーリーの「深読み」も可能になり、主人公や他の登場人物にも共感できるのです。
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