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ストーリー作法の基本⑧誰の“視点”から語るのか(“主人公視点”の限界と“複数視点”によるプロット構成の利点)

 この連載の5回目で筆者は、フィクション作品のストーリーを「面白くする」には、「意外な展開」(「どんでん返し」)が含まれるようにプロットを構成することだと書きました。また、予想外の出来事をストーリーに組み込むやり方による意外なプロット展開は、読者や観客を一時的に引き付けることはできても、主人公に共感させたりストーリー全体によって感銘を与えたりはできないと指摘もしました。

 これはどういうことでしょうか? 意外な展開の連続で一見面白そうに見えるストーリーであっても、登場人物の誰にも共感できない他人事のように感じられるなら、受け手は飽きてしまうということです。

 では、意外な展開、予想外の出来事を「他人事」とは思えないように見せるには、どうすればよいでしょうか。
 答えの一部は、第5回で説明した、アリストテレスの『詩学』に出てくる「逆転」の概念にあります。「ありそうな、或いは必然的な仕方で物事の状態が正反対の方向に変わる」のが「逆転」です。例えば、パニックものの映画や小説では、ありそうで必然的に見えるほど細部をリアルに描くことによって、大災害(地震による津波、高層ビルでの火災、航空機事故など)がいつか観客や読者自身に降りかかるかもしれないと思わせます。その結果、彼らは、登場人物の負傷や死、救出などを「明日は我が身」と真剣に受け止めるでしょう。
 しかし、フィクションの作者は、これとは全く別の方法で、予想外の出来事、意外な展開に受け手を引き込むこともできます。その方法が「複数視点によるプロット構成」です。この方法は、かなり非現実的な物語世界を扱ったストーリーにも応用できるので便利です。

 この連載でプロット構成に関しては何度か触れてきました。「物語内容」の情報量を増やし、登場人物に対する共感を呼び起こすためにもそれは有効ですし、アリストテレスの言う「認知」の瞬間を強調することで主人公への共感やストーリー全体から受ける感銘を深めるためにも有効です。今回述べる「複数視点によるプロット構成」は、それらの応用とでもいう言うべきものです。
 「応用」なのにどうして「ストーリー作法の基本」に含まれるのか? それは、現代のフィクションでは複線的なストーリー展開が珍しくなくなっているからです。

 複線的なストーリー展開はメインプロット(主筋)とサブプロット(副筋)から成るのが普通です。これらの概念に関してはネット上で様々な説明が見つかると思いますが、実作者(及びその候補者)の説明はあまり信用しすぎないほうが無難です。三幕構成と関連づけている人もいるようですが、実は関係がありません。

 端的に言えば、メインプロットと呼ばれているのは主人公に寄り添って進行するストーリー、サブプロットは主人公以外の主要な登場人物に寄り添って進むストーリーです。それ以上の深い意味はありませんし、この場合「プロット」という言葉はあまり正確ではないと思います。そこで本稿では主筋、副筋と言い換えます。
 主人公のことを中心的に語る主筋があるのに、副筋は何のために必要なのでしょうか? そもそも副筋はストーリー作りに必須なのでしょうか? 決まった答えはありません。場合によるからです。

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