配達業務への「理解」と「協力」
物流に関しては2024年問題、というニュースを目にすることが多くなりました。ヤマトや佐川も置き配を開始したり、置き配ポイント還元(2024年10月開始予定)など、各企業や政府が物流業界の負担を減らすべく対応を講じてきています。
そんな中で、荷物の配送に対する不満、特に Amazon の配達に対する質の低さを X(Twitter)や Note でも書かれているのが目につきます。「また Amazon(の配達員)かよ、、」みたいな印象を持たれ、あたかも配達員全体が…みたいに思われているのは同じ配達員として悲しい気持ちになります。
当然、配達員側目線でもひと目みて「こりゃ間違いなく配達員が悪いな、、」っていう場合もあるのですが、配達員目線ではそうとも限らないものもあるのです。しかし、多くの書き込みは切り取られた部分だけをみて「やっぱ Amazon 配達員はアカンな」というイメージだけが強く残ってしまいます。
サービスの内容を「理解」する大切さ
サービス利用者側は、一方的にサービスを提供されるだけではなく、利用者側が協力して成立しているサービスもあると思います。例えば、ファミレスのドリンクバーなんてのが身近でわかりやすいでしょうか。
これは、サービス提供者は利用者に手をかけるものの少人数で対応することができる、一方サービス提供側にもそのメリットとして安価でサービスが受けられる、というサービス内容を「理解」した利用者側が、これだったらやってもいいかな〜という、許容できる範囲の「協力」です。
でも、このほんの少しの「理解」と「協力」があって成り立っているサービスは、これ以外にも皆さんの身の回りにはたくさんあります。
すでになんの懸念もなく置き配を利用されている方、宅配ボックスを活用されている方も多いと思いますが、これも利用者様側の「理解」のもとで「協力」があって成り立っていると思っています。
それでも配達業界の負担となっている「再配達問題」がなくならず、メディアにも取り上げられ続けているのはなぜなのか?
それはまだ配達業務に「協力」していただけない方が多くいるからです。なぜ「協力」していただけないのか?それはまだ Amazon のサービスに対する「理解」が浸透していないからなのかな、ということに、配達員を始めてから気づいた点がたくさんあります。
サービス品質を低下させる過剰な要求
ドリンクバーなのに「席までコーヒー持ってきてくれ」という利用者 Aさんがいたとします。店側はセルフサービスで対応してくれる前提で、店員の人数は限られています。この Aさんの要求に対応が必要になったせいで、店員の稼働が取られ、他の卓には料理が来ない、レジ対応できなくて行列している、なんてことを想像してみてください。
Aさんはセルフサービスであることを知らずに、または知っているにも関わらず「お金を払ってるんだから」「飲食を提供するサービスとして席まで運んできて当然だろ」と訴えたとします。
店員の対応は、事情を説明して対応を断るケースもあれば、最初の1回くらいは取ってきてくれて、次からはセルフで取ってきてくださいね、とお客様に説明するという対処をするでしょう。ただ Aさんは、「この店のサービスはこの程度か」「この前は持ってきてくれたのに」と声をあげます。
このやり取りを聞いた周りのお客さんは、「いや、それセルフなんだから Aさんのほうが問題でしょ」と思うでしょうし、それによって本来のサービスが滞っているお店の状態に対し非常にストレスを感じるでしょう。それは周りのお客さんが、ドリンクバーはセルフサービスという内容を「理解」しているからです。
ただ、ネットの書き込みで、セルフサービスであるという情報を含めずに、このやりとりを書かれていたら、それを読んだ人はどう思うでしょうか?サービス良くない店だな、と思って Aさんと一緒になって騒ぎ立ててしまうのではないでしょうか?
宅配の話に戻りますが、Amazon に限らず再配達のサービスは「無料」で提供されています。再配達自体は、各宅配業者側が提供しているサービスの一環ではあるわけですが、これは過剰サービスではないか、有償にすればいいのではないか、という意見も少しずつ取り上げられてきています。
Amazon は注文後、アカウント(メールアドレス)に対して必ず配達予定日などが通知がメールで届くはずです。これは、利用者にとっていつ届くかをお伝えすることで、確実にお届けできるようにする(再配達をできるだけなくそうとする)ための、宅配業者側の試みです。
にも関わらず、「置き配不可」と設定されている方でもお届けにあがると不在の方が多くおられます。その日に不在になる見込みであれば、事前に受取日時の変更もできますし、確実に受け取れる「置き配」に変更することもできますが、それもされていないから「再配達」がなくならないわけです。
Amazon のサービスを利用している以上、この通知される仕組みを全く知らないということはほぼないと思っているのですが、想像以上に軽視されているのではないかと感じています。
その原因としては、仮に受け取れなくても再配達してもらえばいいやという意識があるから、なんとかして受け取ろう(受け取ってあげよう)という利用者側の「協力」がない、そんな状態なのではないかと想像しています。
「サービス提供側の都合なんて知らん」「配達業務なんだから運んで当然」、それって根本的な考え方は、上記に書いた Aさんと変わらないのでは、、、?
そして、ネット上に書き込まれる配達員に対する不満は、Aさんの要求によりどうにも仕事が回らなくなった、罪のない店員さんを晒し、叩いているのと同じ行為だとしたら、、、それは、正しい指摘でしょうか?
本来、不満を投げかける先は、本来は Aさんのような過剰な要求をして業務全体の回転をひっ迫させている側ではないかと思うのです。そう、サービスを「理解」した周囲の方が「それ、Aさんのほうが問題でしょ?」と思ったように。
Amazon のサービスを少しでも理解してもらうために
ある日、こんな書き込みを見つけました。
普段、 X(Twitter)は読む専門で、ほとんど発信はしていないのですが、これはぜひ配達員として回答しよう!と思いました。ただ、ちょっと回答を書き始めると、なかなか最適解がまとまらない。。。
「置き配一択」、これは単に配達員の都合でしかない。利用者だって、なにかの理由があって「置き配不可」を選択しているであろうから。
では、利用者側の都合を踏まえた妥協ポイントは?
ということを考えてまとめている間に、この Note の記事の作成に至りました。ただ、それでも文字数がドエライ量になってしまっているので、いくつかの記事に分けて発信していこうと思っています。
利用者様側におかれましては、「できるだけ一度で受け取るための手段」を講じていただきたい。それが配達員に対するほんの少しの「協力」です。そのために、どういう手段を取ればいいのか?そんなにハードルが高いことを要求するつもりはありません。
「こんなことでも配達員にとって「協力」になるのか、ということも記事に書いていければと思っています。ひとりでも多くの方に目を通していただき、そして周りの方へも拡散いただくことで、配達業務への「理解」を深めていただけるといいな、と思っています。
配達員のゴールは、商品を「無事にお届けする」こと、理想を言えば「できるだけ負担なく一度で受け取ってもらうこと」、そして利用者様に「無事に手元に届きハッピーな気持ちになってもらうこと」です。
そのために、ほんの少しの「理解」と「協力」がないと成り立たないのです。何卒配達員への「理解」と「協力」をお願い致します。
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