一緒に居たくない人 父 ここは祝福のない実家や
いやなことがあった それを見逃さないことが 今の私には大事だと思う
【出来事】
私も父も、共にリビングに居る
父の端末(スマホ)からメディアの音が流れる
私「音を出さないでほしい」と告げる
「オフにしてるつもり、でも鳴った」
「いつもそんなこと(音量がコントロールできない)があるんですか?」
「時間的な割合で言うと、98%くらいはコントロールできてる」
私「音量の仕組みを見せて」といい、仕組みを検査する
その実験のときには、しっかりメディア音量のバーが実際に流れる音量と一致していた
私は「(ちゃんと相関してるやん、やっぱり父の注意不足で音が出てるんでしょ)」と思い「これから注意してね」と言う
父「だから、〜〜(音量バーについて注意してても、音量をコントロールできないのがこのスマホなんだ というような口ぶりしかしない)」
話終わる
【事後考察】
納得できない気持ち 部屋を出たい
「彼は一言も謝る素振りをみせてない」ことに気づく
普通のコミュニケーション(人間関係)戦略なら、相手に「あなたと一緒にいたい」という意思を示すために、軽い謝罪・おことわりをすると思う。
たとえ自分の不注意ではなく、不良品のスマホのせいだったにしても、不良品のスマホを持ち続けるせいで、これからも突発的に音害が発生してもおかしくないのなら、謝るでしょう。
けど彼にはそういうのはない。少なくとも私(家族)に対して。
どういうつもりでそういうコミュニケーションを展開してるのか話を聞こうと思ってたちあがったら、彼は寝に上がった(午前2時30分土曜)
もやもやがどうしても残ったのでここに書くことにした
こんなコミュニケーションを浴び、そこに違和感を抱いた自分を消して、摩耗させてしまうと、心が死んでいくんだと思う。「不明確性の虐待」がここにある。その自覚を持って過ごすしかない。
「こういうことってまあまあ普通に家庭内で起きてることなのかな」なんてことは、いくらでも想像で保管できてしまうので、本来埋没させてはいけないのだ。
そうやって気づかないのが家庭内の問題の醜悪さだということを様々なメディアを通じて知ってきたでしょ? それに目をつぶってはいかんぜよ いちいち批判したほうがいい。少なくとも飽きるまでは。
人を待つなかれ、自分の「直感」を通す道を心理内に保ち、重い腰を上げよ。自分が軽視されてることに敏感になれ、人を見る目を養え、めんどくさいけどネ。
じゃないと、家庭内の自分の扱われ方が、無限に延長して世界認識にまで飛び火するから。それが結局「世界に祝福されてない感覚」として、暗黙のうちに自分の根底に成立してしまうのだ。
「この生活は普通じゃない」と自分に釘を差しておかないと、希望が、「家出(いえで)力」が枯れて先細ってしまうから。自分を鈍感無痛のうちに、泥中で窒息させるなかれ。