妹分のような友人、打ち明け話をしあうミナミちゃんの話。
昨日、ミナミちゃんが近所のコミュニティFMの朝の番組にゲストで出ると知り、友人・知人が出演する際は(私とわからないように)メールを送っている私は、「さて、何と送ろうか」と考えた。深夜のAMラジオ、特に「西川貴教のオールナイトニッポン」を学生時代によく聴いていた私のノリは、朝のFMにはそぐわないので、毎回それなりに頭を使う。
話はそれるが、西川さんのラジオのWikipediaを読むと、私が聴き出した火曜22時台は2003年3月で終わっていた。あー。ハチャメチャな企画を考案し、個性的な笑い声で文字通り番組の一部になっていた構成作家の石川昭人さんが番組から離れるタイミングで、二人が泣きながらしゃべった回、リアルタイムで中学生の私も泣きながら聴いていた。あれから21年も経つのか。
閑話休題。結局、「好きな食べ物は何ですか?笑 冗談はさておき、ミナミちゃんがリラックスしてしゃべりたいことをしゃべれますように」とラジオ局にメールを送った。曲もリクエストできるので、「なんだか朝っぽいよね」という理由で、Superflyの『やさしい気持ちで』をリクエストした。本当はSOUL'd OUTの『To All Tha Dreamers』を流したかった(おい)。
私のメールは読まれたけれど、まぁ私がおせっかいを焼くまでもなく、いつも通りにしゃべっていた。唯一のツッコミどころは、つじあやのの『風になる』をリクエストしていたことくらい。秒で「生まれてねぇだろ!」と叫んだ。『風になる』のリリースは、当時CDTVとオリコンをチェックしていた私からすれば、すぐに「2002年」と口から出てくる。ミナミちゃんは2003年生まれである。
石川さんが自身の番組卒業回で、泣きながらリクエストをした曲、T.M.Revolutionの『VITAL BURNER』を流した頃に生まれた子と、打ち明け話をするのは感慨深い。年は取りたくないものだが、年を取ったからこその出会いもあるわけで。
ミナミちゃん登場ゾーンで、私のメールも読まれたし、Superflyもかかったので、まぁよかったけれど、誤算だったのは、メールの送り主が私と秒でバレたこと。書店にイベント告知用のフライヤーを取りに行ったら、ラジオ終わりのミナミちゃんがいて、「メール送りましたよね?」と秒で詰められた。聞いたら、私からのメールはパーソナリティにもゲストにも読めるようになっていたそうで、文面から秒で私を連想したとのこと。私はもうちょっととぼけたかったが、まぁ仕方ない。
ちなみにラジオネームは、私が好きな韓国映画『甘く、殺伐とした恋人』のタイトルにヒントを得た。前フリを大切にしたい私の、韓国語がしゃべれるミナミちゃんだからこその、着想である。当時の私にハマった映画であり、さして話題になった作品でもないが、DVDを持っているくらいに好きな作品。しばらく見ていないので、久しぶりに観ようかと思う。
ミナミちゃんとはそれからランチをし、書店で新聞社の取材を受け(取材対象はあくまでミナミちゃんで、私は保護者役だったが、結果として私が多くしゃべることになった)、その後の行き先も同じ方面だったので、ゆっくりいろいろ話せることができた。
一回り以上年の離れた妹分に、やっぱりパートナーの話をする私。一人にしてほしい時期に突入しているパートナーの気持ちを「わかります」と共感してくれて、「そういうものか」と納得しつつ、「一人にしてほしい時期が長すぎることに、私は納得しきれていないのかな」と心の中で思った。
「早まらないで(別れを告げなくて)よかったじゃないですか」は、まぁその通りで。感情に任せて叩き割ったガラスのコップはもう元には戻らない。私はいったいいつまでコップを握りしめ続けるのだろうと思う。コップから手を放せるのが、仕事をしている時であり、友人たちとおしゃべりしている時なのだろう。
ミナミちゃんは「久しぶりにゆっくり話せてうれしかったです」と言ってくれたけど、私からすれば全然久しぶりではなくて。ほとんど誰ともしゃべらない時期をそれなりに過ごしている私からすれば、むしろハイペース。最近は家族っていいなと思うことが増えているけれど、私にとっては妹分がいて、母親的な存在もいて、自覚していないだけで「家族みたいな存在」は他にもいるのだろう。それはとてもありがたいこと。
重たくなるから「まずまず」という言葉を使うけど、まずまず私の心の支えになっていること、きちんと書き記しておこう。ありがとうね、ミナミちゃん。