さよなら大好きな人?
自分が音楽(J-POP)をよく聴いていた頃(2001年前後)の曲を中古CDだったりダウンロードだったりで再び聴いているここ最近の私。今日(12月10日)、もう昨日か、仕事を終えて、行きつけのカフェバーに繰り出す前、花*花の『さよなら大好きな人』をダウンロードしてスマホに入れた。我ながら良いフリになっていた。『あ~よかった』を小学校で合唱していたのをふと思い出してからの、『さよなら大好きな人』。
カフェバーでピザを食べ(私にしては珍しい)、ラム肉を喰らい(おそらく高校の修学旅行以来)、バニラアイスと焼きカステラを味わい(これはいつも通り)、常連勢が帰り、マスターと二人きりになったタイミングで、パートナーから「今の気持ちを伝えたい」とLINEが入った。怖い前置き。引き続きしばらくそっとしてほしいか、それとも関係性を終わらせたいかのどちらかだろうな、と。
マスターと冷や冷やしていると、「今後は友達として、また大切な仲間として接したい」の文字が目に入って、「あぁ、そっちか。そうだよね」。まぁ、予想はできていた。しかし、その後の長文はちょっと予想できなかった。
・この前、あなたは私に会うために光の速さで来てくれて嬉しかった
・あなたとの関係性は細く長く続けていきたいけど、進展も後退もなく、深まっていないと感じているこの頃
・原因は私自身の、あまりにも余裕がないことにある。家族と仕事と自分のことで余裕がなさすぎて、自分が崩壊していた時期もあって、あなたとあなたを思う自分の気持ちに向き合うことが今はとても難しい
・そんな私のことを理解しているあなたに感謝している。ZINEやSNS含め、たくさんの言葉をくれていることも。つらかった時期やまだ余裕があった時期に寄り添ってくれて、すごく幸せだった
・だけど、あなたの気持ちに応える余裕がないまま、パートナーとしての関係性をずるずる続けたくない
・できれば良い友達で、いい仲間でいたい
・結局会いに行く時間も作れなくて、ごめんね
うーん。要点を書き出したけど、泣ける。言葉を真摯に紡いでくれたと思う。自分で言うのもあれだけど、私は私なりに言葉を真摯に紡いできたつもりだから、それにきちんと返したいと思ったのだろう。
「今までありがとう。とても幸せで、時に切なくて苦しくて、でもやっぱり幸せだった日々を」
私の言葉は前向きでやさしく、配慮を感じるらしい。やさしいけいかく、らしい。相変わらず私の(書く文章の)ファンでいてくれるらしい。
元パートナー(元って付けないとね)から唐突に「魅力的な人ってどんな人だと思う?」と訊かれた。彼女いわく「また会いたくなる人」らしい。私たちがはじめて出会った場所、SNS、ZINEをつくることを通じて、私には着々と力が付いていて、ファンも多くて、イベントではいろいろな人と交流して、本業ではチームの仲間と助け合いながら頼りにされている、と彼女は思っているようだ。私は自分のそういうところ、なかなか客観的には見られないけれど。
元パートナーは私みたいな魅力的な人になりたい、「あなたという人が今続けている事、継続させたい事を、どうか塞がずにくさらずに、楽しんで続けて欲しいなって心から思う」と文字にしてくれた。こうした話は「直接すべき」と思う人もいるだろう。しかし、語りかけられたことをそのまま頭にとどめるのは難しい。冷静に受け止めるのも。文字を読んだり書いたりすることが好きな私たちらしく、会わない方がよかったなというのが、私の率直な気持ち。
ちょうど三カ月前に出した拙著で「希死念慮も、下関弁を操るパートナーの言葉でほぼ消滅したこと。それらも改めて忘れないようにしないといけない」と書いた。だから私はこう伝えざるを得なかった。
「私はあなたと出会う前に私に戻ったらどうしようと少し思っていた。今もちょっと思っている。だから私から友達に戻ろうとは言えなかった。ずるいよね。あなたがかけてくれた、希死念慮を消し去ってくれた言葉の魔法はどうなるかな」
元パートナーは、忙しいなりに、繊細な私にかける言葉を、時間をかけて考えていたようだ。
「そう思うだろうなと思った。そして、そう思っているのだろうなと思っていた。ごめんね、想定していて。ただね、あなたは前のようなあなたには戻らないよ。体調を考えながらいい時は良い、悪い時は悪いであたらず触らない。ご飯も食べるし、唐揚げも食べる。コーヒーを好きにはなれんかもしれんけど、歯を大切にしながらチョコパフェは食べるし、ルイボスティーを好むと思うよ。カレーもね。あとは、自炊もすると思う。米が高い高い言いながらね」
私はとっくにカフェバーを出て、家に帰っていた。ワーキングチェアに座って、言葉を紡ぐ余裕が少しだけできた。
「そっか。ありがとう。よくわかっているね、私のこと。あまり困らせたくないけれど、今日の最後に言わせてください。あなたのことが本当に大好きでした。いろんなことがメンドクサイと思って、誰とも交わりたくなかった私が告白するなんてね。告白してよかった。私のことを真剣に想ってくれてありがとう。あなたがいつか言ってくれた、『大好き』という気持ちはどこにいったのだろうと思い悩んだけれど、『嘘だったのかな』と疑ったことはなかったよ。あなたは自分がやらなきゃいけないことに気付いたんだなって」
元パートナーも率直な言葉で返してくれた。
「嘘はなかった。大好きなのも、変わらないんだけどね。自分のやらなくちゃいけないこと。そうだね。今の私には、やっぱりそれが一番なんよね」
だから私たちは一区切りをつけることにしたのだ。私は、心底大切な人をこれ以上悩ませたくなかった。心置きなく、今の仕事と家族(子どもたち)と向き合ってほしかったから、今は悲しいよりもホッとしている気持ちの方が大きい。私がまた希死念慮に苛まれることを予測して、精一杯の言葉を残してくれたやさしさに心から感謝している。はじめて会ったときに印象に残った「底抜けの正直さ」を遺憾なく発揮して、「もうパートナーではいられないけど、それは私に原因がある」旨を率直に伝えてくれたことにも、「ありがとう」と言いたい。11月末のイベントを終えて少し落ち着いたタイミングの私に伝えたことにも。
時計の針を少し戻す。既婚者で私のことを気にかけてくれていたマスターは「切なくなるね。でも、もう自分は恋愛で悩むことは無くなったから、正直羨ましい。一冊書けるじゃないですか」と言っていた。明日、いや今日からの私は恋愛で悩むのだろうか。一つだけ確かなことは、私は今までの恋愛で一番穏やかな終わり方をしたということ。出会って一年、告白してから半年、激情(劇場)型の私が声を荒げることも、喧嘩をすることも一度もなかったな。まぁ、その分、周りの人たちには心配されるくらい、いろいろを抱えんでいたのだけれど。
「終わり」というより、「一区切り」と表現した方が私的にはしっくり来るのだが、どうだろう。私たちは自分がやらなくちゃいけないこと、私は自分がやりたいこと、すなわち文章を綴っていくことをしていこう。
「おやすみ。またね」と最後に送った私。「さよなら」と送るのは寂しい。私は元パートナーの友達として振舞えるか分からない。今までと違った形で寄り添いたいけど、明日の私がどう思っているかは正直分からないと伝えると、「あなたらしい。口癖だからね。『明日の自分がどう思っているかわからない』って。その言葉こそがあなたのやさしさや配慮の塊だと思っている、結構前から」と。そんなものか。
とりあえず、さよなら大好きな人。ずっとずっとずっと大好きな人。