宮本武蔵「五輪書」
宮本武蔵の「五輪書」を読んでみました。
宮本武蔵はほぼ一代で仏教や儒教などの言葉に拠ることなく自らの経験の中で見出した事柄を論じています。
最晩年に著した五輪書は兵法書、剣術の奥義にとどまらず、近世の社会の中で武士の役割を捉え鍛錬を日常生活にまで徹底すべきことを書いています。
また13歳から29歳まで60余の勝負に全て勝利したとも書かれており、30歳以後「なおもふかき道理」を追求して、50歳の頃に「道」に達し諸芸にも通じるという自覚を持っていたということです。
原本は焼失してしまっているので写本を繰り返し弟子が書いた部分もあると言われています。
宮本武蔵は免許にとらわれず士農工商それぞれの役割を尊重し同等に見ており秘伝を望まなかったのですが、後に流派の秘伝とされ免許として分けて授けられたために五輪書全てが多くの人に行き渡ることがなかなか難しかったようです。
五輪書は「地の巻」「水の巻」「火の巻」「風の巻」「空の巻」とありますが私は特に「水の巻」に感銘を受けました。
「心を広く直にし、心のかたよらぬように心を真ん中におきて、心を静かにゆるがせよ」
状況や相手の変化に柔軟に応じられるように意の心を揺るがせるということです。
また「我神仏を尊びて神仏に頼らず」などの名言もあり、描いた水墨画も素晴らしい物でした。
「五輪書」に書かれている
〈技を出させないように相手を見抜く力〉〈戦わずして勝つ〉
など剣術のみならず武士のあり様を記した教え、
〈役にたたぬことをせざる事〉
〈大事なことに集中するべきこと〉
など現代にも充分通用する教えが多々あり大変興味深かったです。
外国語にも翻訳されています。
江戸初期になって泰平の世が続く中、武士にとって武芸が戦うためだけでなく儒教の教えに拠った士道論や武士道論の形で説かれるようになっていきました。
これまで合戦のために腕を磨いていた武士が実践的な術から武士の人間形成に資するものでなければならないと変化していきました。
上泉信綱の新陰流の極意「転」(まろばし)も、実践的な剣術ではなくむしろむやみに剣を揮わず相手を冷静に見て対処する精神を養う武道で、その後柳生宗巌に受け継がれ今の時代に通用する術理を生み出し伝わって行きました。
剣術の技の中に禅の言葉を踏まえてつけられた技などもありました。
※「転 まろばし」
敵に負けじと打ち返すのではなく敵の打ちに合わせて身を左、右に転じて太刀をかわすと同時にそのまま打ち込むこと。
武士の精神は現代に置き換えられないのではと思っていましたが、精神を養う教えは現代でも充分通用するもので、むしろ現代こそ必要なのではないかと感じました。
紹介してくださった〈これでも母さん〉〈ゆうゆうさん〉の作品です。いつも企画参加に元気をいただきありがとうございます😊✨