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うつやめアクション:親を理解する
「親ガチャ」などという言葉を最近よく耳にするようになった。
メンタルを病んだ人と話している時も、時々親との関係の話になる事がある。
親とのネガティブな関係、ひどいことを言われた、暴力を振るわれた、時には虐待されたなどという話も出る事がある。
それはそれで1つの事実で、その事が自己肯定感を低めてしまっているのも事実だと思う。
しかし、そういった親に対する不満だけを話している人の病状が良くなることは、今のところ見たためしがない。
その理由は、彼ら自身がずっと「被害者」でいるせいだと考えている。
親を責めたり恨んだりしている限り、ずっと自分は被害者でいる事ができる。
実は被害者でいることは楽なのだ。
なぜなら、自分は悪くないから。
しかし、ここで言いたいのは自分にも悪いところがある、ということではない。
仮に、親の言動で今でも許せないものがあったとして、その時その瞬間の親になってみると、どんな景色が見えるだろう?
今の自分よりも若かったかもしれない。仕事がなかったり、貧乏だったり、誰にも助けを求められない立場だったかもしれない。
何があったにしても、その時の親には、そうするしかなかった。
そう思えないだろうか?
心理学で親を許す=心理的和解
という事が言われる事があるが、親を許すというとハードルが高いかもしれないし、あるいは自分が尊大に感じて抵抗を持つかもしれない。
だったら、こうしたらどうだろう?
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親を許すのではなく、親を理解する。
あの時はそうする他なかったのだと。
それができたら、もうあなたは被害者ではない。