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誰か助けて、誰でもいいわけじゃないけれど 〜映画「ホールドオーバーズ」

周囲で評判がよかった映画「ホールドオーバーズ」を観てきた。評判にたがわず良作だった。

それなのに、映画が終わってしばらくしても私は「ああ、いい映画だったな」とはなれず、淋しい気持ちが募って困ってしまった。映画のせいではない、今の私の状態のせいだ。この映画において、一人一人の心や事情が細やかに描かれていたからで、つまり、映画として素晴らしい作品だったからなのだと思う。

孤独は人の数だけあって、その形も様々だ。生まれ持ったもの、家庭環境、別れ、伝わらない気持ち。いろいろなものを餌に癌のように増殖を続ける。孤独がぱっくりと口を広げると、人は心を閉ざしたり、反抗したり、周りや自分自身を騙したり、拒絶したり、否定したりと、主に自分を守るためにあらゆる手段で無理をしてでもやり過ごそうとする。その無理がたたり千切れてしまう寸前という時に心が叫ぶ。ビートルズではないが、「誰か助けて、誰でもいいってわけじゃないけど」と。

映画の中の3人は、決して手と手を取り合って、彼を彼女を助けてあげようと思っていたわけではなかった。傷ついて苦しんだ人だけが持つ独特の温かさや優しさというものがあり、その熱に触れ凍っていた心がひとりでに溶けいく様子が描かれていたと思う。この優しさにはベクトルがない。ただ静かにそこにあるだけだ。私がこの映画を見終わって淋しい気持ちになったのは、そんな静の優しさに触れられた彼らを心底羨ましいと思ったからなのだと思う。

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