言葉のない言葉〜新国立劇場バレエ「眠れる森の美女」
新国立劇場でチャイコフスキーの三大バレエと言われる「眠れる森の美女」を見てきた。しかもS席で。小野絢子さんのオーロラ姫が目当てだったが、この日は小野絢子さんは体調不良で降板となり、池田理沙子さんが代役を務めることになった。
私はオペラと同様、バレエ畑もまだまだ素養が足りないのだが、一緒に行った友人によると新国立劇場のバレエは吉田都さんが芸術監督に就任してから目覚ましい進歩を遂げているそうだ。質の向上はもちろんのこと、次世代を担う若手の育成と起用に取り組んでいる。この日の公演も、この日がデビュー公演となったダンサーも多くいた。「スターしか観たくない」という人には物足りないかもしれない。しかしこれから長く良質の公演を堪能するには、これから輝ける人たちにチャンスを与えることは必要だ。
今回の小野絢子さんの降板にあたり、吉田都さんが自ら冒頭にキャスト変更の謝罪のため舞台に登壇した。「小野絢子を楽しみにしていたお客様に申し訳ない、代役の池田理沙子が心を込めて務める」。この一言で客席の大半が、池田理沙子さんのサポーターとなる。これからのバレエを背負う人に、このチャンスを我が物にしてもらいたいという温かい眼差しに変わる。文化芸術の未来を担うのは、客席も同様だ。
池田理沙子さんはもともと今回の作品ではオーロラ姫を1公演だけ踊るはずだったが、急遽巡ってきた代役で2度踊れることとなったことになる。16歳の大事に育てられた可憐で品の良い姫を堂々とこなしていた。言葉のないバレエの舞台だ。初出で「私がオーロラ姫である」と瞬時に客席に解らせる華を持っていた。彼女の動きは丸みのある滑らかな優美さを備えており、代役としては期待以上の主役だった。
新国立のバレエで素晴らしいのはプリンシパルばかりではない。群舞の細部に至るまで、私にも分かるほどクオリティが高い。特にユニゾンは、きっと世界のどこにもこんなにぴったりと合うバレエ団はないのではないか。四肢の角度、ジャンプの高さなど、前に「ジゼル」を観たときにも感じたが、今回の森の場面でも、群舞がこれほどまでにぴったりと合うと、不気味さを表現できるのだと気づいた。神は細部に宿ると言うが、これもまた吉田都さんの手によるものなのではないかと思う。
当たり前のことだがバレエは舞踏なので、そこにはセリフはない。バレエの動きにさまざまな意味はあるものの、耳に聞こえるのは音楽とわずかな足音のみ。私はバレエを観る時に、あらすじ以外の事前勉強をしていかない。勉強したら勉強した楽しみはあるだろうとは思うが、言葉のない言葉、目と耳から飛び込んでくる表現を、思考を通さず感じることが一種の瞑想のようにも思えて気に入っている。今回の「眠れる森の美女」も滋養たっぷりの時間となった。
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