見出し画像

最初の講義

「あちい」「くせえ」
    何だこの科白は、と思われるだろうか。私がインドに足を踏み入れたとき。最初に口から洩れた言葉である。湿り気をたっぷり帯びた、動物と糞尿とスパイスと土の匂いとが一緒くたになったような、肌にべっとりとまとわりつく熱気。昨日まで包まれていた東京のそれとは明らかに異なる空気。35年前、全身に覆い被さってくる、むせかえるような感覚はいまだに忘れることができない。成田を飛び去ったとき、私はザ・フーの「アイム・フリー」を脳内リピートしていた。「俺は自由だ」と浮かれていた。今やそんな極楽とんぼ的な気分は消え去っていた。その匂いと熱気が運んできたのは、戸惑いと不安であった。到着したのが夜中の10時過ぎであったことが、余計に心を不安にしたのだろう。当初、10時前につくはずだった便は途中バンコクで給油に手間取って、少々到着が遅れたのである。
(しっかりしろ。びびっていたら何もできない。周りに察知されてはいけない。なめられたらおしまいだ.。ともかくも落ち着け)まずはK教授が言っていたことを実践することだ。空港の税関の職員にブロークンな英語で、今日はもう遅い、電車ももう終わる頃だろうから朝までいさせてくれと頼んだ。職員の男はぎろっとした目つきで、それならロビーの隅でおとなしくしてればよいと、インド訛りのキツイ英語で無愛想に答えた。OKだ。インドに来て最初の交渉は成功だ。
 他の乗客はどんどん外に出ていく。玄関にはわっと外から人が群がっている。あれがオートリキシャの運転手だろう。客を取り合い、何やらわめいている。ヒンディー語なのか?いや英語も混ざっているようだ。だけどてんでわからない。今外に出ては危険だ。まずは腰を落ち着けよう。私は玄関からちょっと離れた壁の隅に腰を下ろした。
 周囲には誰もいない。乗客は皆、外に出たようだ。
(まじに、あちいよなあ)額から汗がしたたり落ちる。手の平でぬぐうと、顎のあたりがざらざらする。そういえば、この2日ばかりヒゲを剃っていなかった。準備の最終確認に追われて風呂も入らずシャワーを簡単に済ませただけで、ヒゲも面倒くさくなって剃らなかったのである。
(もうすでに、俺はヒッピーだな、こりゃ。・・・・)
 80年代、バブル景気に沸いていた日本では、男は大学生の身分で高級車を乗り回し、アルマーニのスーツを着ていた奴が、女は男に貢がれてエルメスやらヴィトンのバッグを見せびらかし、シャネルの香水をつける奴が、いわゆるイケているとされた。
(どう見たって、アッシー君じゃねえよなあ)視線を下にやる。靴はスニーカー、着古したGパンに色あせたTシャツ。私の見てくれは即刻イケていない認定を受けること確実なのであった。
(俺を知っている奴等は、まさか俺が今、インドに乗り込んでいるって思わんだろう。チキンハートの、いつもいじめられ、学校のテストじゃ20点とか30点とかばっかりで、運動音痴で、協調性もゼロ、ついでに喘息もちでしょっちゅう寝込んで。センコーまで他のガキどもと一緒になって俺を愚弄しやがったよな・・・・)
私は自分のこれまでのヘタㇾた過去を思い起こしていたが、これではいかんと追憶を吹き消した。
(俺は、日本での俺を、一時でいいから捨て去るためにここに来たのではないのか。ここにいれば、誰も俺のことはチキンハートだのヘタレだのと蔑む奴はいない)
 と、そこに、さっきの空港の職員がやってきた。ん、なんだ?私はぎょっとした。ひょっとして、やっぱりここにはいてはだめだと追い出されるのか?何やらしゃべっているが、訛りの強い英語なので聴き取れない。固まったまま黙っていると、どうやら言葉が通じないと判ったのであろう、顔を近づけて、ゆっくりと
「チャーイは飲むか?」と問うてきた。
「あ、チャーイね・・・・。ああ・・・・」
 そういわれると、機内にいる間は全く飲まず食わずであったから腹ペコで、のども乾いているとようやっと自覚した。
「Thank you sir」
「アッチャー。ちょっと待ってろ」そう言うと、職員はその場を去った。ほどなくして、ステンレス製のポットにガラス製のコップと、何やら揚げた菓子のようなものを持ってきた。
「明日の朝になったら、ポットとコップはオフィスに返してくれ。夜勤の者には伝えておく」
「・・これは」
「ああ、これはサモーサーだ。おまえにやるよ」
 注釈を加えておかなければならない。これから登場する日本語の会話は基本全て英語、ヒンディー語その他インドの言葉である。本稿では読者の便宜のため、大雑把に日本語訳をして記す。何分にも語学力に問題のある私が、35年前の危なっかしい記憶をほじくり出して翻訳するのだから、正確性に欠けるのはご寛恕いただかなくてはならない。但し、たまに登場する日本人との会話は当然日本語であり、それについては翻訳の必要はないから、あくまでも私の記憶の中での日本語をそのまま記すことになる。
 さて、本題に戻る。サモーサーと言う食べ物は、ガイドブックにもその名が載っていたが、現物を見るのは初めてであった。きつね色をした三角形の春巻きみたいな姿をしている。かの地での揚げ物は危険だよ、と言われていたけれど、生理的欲求には打ち勝ちがたい。まずはコップにチャーイを注いでぐっと一口飲む。ミルクとショウガの風味と砂糖の甘味が広がって実に美味である。これがチャーイか。さすが元イギリス統治下の国だけあって、お茶が根付いているってわけか。ついでサモーサーに食いつく。スパイスの刺激が口を捉え、一瞬キツイと感じたが、それ以上の空腹が、サモーサ―を受け入れた。
「うん・・・・うまい」
「おまえ、チャイニーズか?」職員は私を中国人だと思ったらしい。
「いや、日本人です」
「そうか。ジャーパ二―か。日本のどこだ?」
「東京」
「ああ東京か。よく聞く名だ。けど空港は東京にないよな。名前にはトーキョーってあるのに。ストレンジだよ」確かに、成田空港は新東京国際空港とも呼ばれている。そうだよなと思いつつ、けれどもう一つ、羽田は東京にあるよなと思った。だが語学力のない身、この発言には答えられず、黙るしかなかった。
「気を付けて行けよ」そう言うと、職員は去っていった。
 さて、サモーサ―も食ったし、チャーイも平らげたところで眠くなってきた。寝るとしようか。おっと、荷物はちゃんと両腕で抱えないといけない。盗られちまったら旅のしょっぱなからして真っ青だ。私は壁に寄りかかり、リュックを抱え込んだまま、目をつむった。
(朝になったら、まずはデリーに行かねばならない。デリー・・・・ニューデリーか?オールド・デリーか?どっちだったっけ。そっからバナーラスだろう。すげえかかるな。丸1日列車の中だ。考えるほどにしんどくなってきたな。そっから・・・・)
 リュックを抱え込んだまま、私は寝落ちしていた。
 気が付くと、もう辺りは明るくなっている。遠くの方で何やら音がしている。ぼうっとした目で見渡すと、空港の職員と思しき連中が何人か行きかっている。どうやら空港もお目覚めのようだ。手に抱えたリュックは・・・・大丈夫だ、何も盗られていない。
「しかし、でっけえリュックだよな」このリュックは今はなき、吉祥寺の西武スポーツで買った登山用のヤツである。けっこうたくさん入るのはいいが、その分嵩もはり、しかも荷物もたくさんだったものだから、重たくって困った。それでもなけりゃないで困る。手ぶらの旅なんて選ばれし民のみ許される行為なんだろう。リュックを背中にしょい込んで、ポットとコップを返し、玄関を出る。と、いきなりわっと人が集まってきやがった。
「ヘイ!××××」口々に勝手気ままに、一方的に、且つ大声で早口に喋くってくる。まるで聴き取れない。泡食っていると、いきなりひとの腕をつかんで引っ張り寄せようとする奴がいる。ただでさえ暑くって汗が滲み出ているのに、今度はビビッて冷や汗が出た。
「な!なんだよ。拉致かよ!」
「へ!×××・・・・」腕を引っ張った奴が私に向かって畳みかけている。目の前にオートリキシャーがある。これに乗せようとしているのはすぐに分かったが、奴のペースに乗せられっぱなしは危険だ。
「おいこら!その手を放しな」腕を振りほどき、
「おめえ、なにがしたいんだよ」なんだが間が抜けた答弁になってしまったが、こんな答弁しか出てこなかった。朝っぱらから急展開なもんだから、アタマも体も追いついて行かない。
「×××・・・・」
「だからよ。何喋ってんだかわかんねんだよ。もうちょいゆっくり喋ってくれよ」
 日本語と英語と、たぶんヒンディー語のちゃんぽんが、空港の玄関で展開される。はたから見ている方は漫才のように見えたろう。こちとらにしたら漫才どころではない。拉致されかかってテンパっているのだ。生き死ににかかわると言っても過言じゃない位だ。相手のひげ面の男は、私の要求を理解したのか、ゆっくりと私に言ってきた。
「・・・・どこ行くんだ?」
 おそろしく訛った英語だが、まあ、たぶんこんな意味だったのだろう。
「デリー・・・・」
「オールド・デリーか?」
そうか。デリーにも2つあったよな。オールド・デリーとニュー・デリー。アタマをフル回転させ、空港からより近いのはニュー・デリーだったはずだと目算を立てた。
「ニュー・デリーだ」
「アッチャー。乗れ」
 おっと、その手は食わねえぞ。拉致されっぱなしじゃ、かなわん。
「乗れだと?まだ俺は何も決めてねえよ。それにいくらなんだよ?」見くびられてはならない。あくまで強気で行かないといけない。洗練よりもバーバリズムよ。私はまず料金を決めないと乗れないと突っぱねた。ガイドブックや観光局の説明では、乗り物に乗るときには、まず料金交渉をせよとなっていた。交渉なしで乗ったら、とんでもなくぼったくられるとも。
「○○〇ルピーだ」
 果たして、〇〇〇ルピーが相場なのかぼったくりの値なのか、判然としかねたが、やはりアタマの中で円に換算し、宿の値段とつき合わせてみたら明らかに高いと思った。ここで私の生来のドケチアラームが発令された。物心ついたときから両親のカネ使いの荒さをさんざ見てきた私は、カネは丁寧に、大事に使えと肝に銘じてきた。その100円、いやここでは1ルピーか、この1ルピーを無駄にしたことが、後で響いてくるのだ。
「高ぇな。半分にしろよ」
 内心、半分とは思い切った要求をしたなと我ながらびっくりしたが、言ってしまったものは引っ込みがつかない。すると男は
「アッチャー」と言う。商談成立である。いささか拍子抜けしたが、そのままリュックを抱えたまま、乗り込んだ。
 オートリキシャーは、大昔の日本でもよく走っていたオート3輪のリキシャ―だ。後部座席は2人掛けだが、私はリュックを背負っているので1人で2人分を占領した格好になった。
オートリキシャーは勢いよく空港を飛び出した。空港の周りは道もよく整備されている。
(どこにでもある都会だな・・・・)そう。空港の周りはいかにも、な都会であった。やがてその迂闊さを吹っ飛ばされることになるのだが。
エンジンの振動が、容赦なく尻に響く。痔でなくてよかったわい。まだ朝だったからか、道は空いている。さしたる支障もなくニュー・デリー駅に到着し、カネを払った。
(どうにか駅まで上手くいったか)しかし次は駅でチケットを購入しなければならない。
 駅は既に人でごった返している。新たな緊張に強いられる。表示板を見ると、ヒンディー語に英語が乱雑に記されていて何だか判然としない。どこ見りゃいいんだ?バナーラス行ってどこに書いてあるんだろうか。うろうろしながら、ようやっとバナーラス行の表示に巡りあったが、発車まで3時間もある。それまで駅で待ち惚けである。仕方ない。少し落ち着いたところ、便意が襲ってきた。やむなしと駅のトイレに行く。見事な汲み取り式だが、トイレットペーパーなんて洒落たものはない。大きい方は手でぬぐい取るのだ。本に書いてあったとはいえ、やはり最初は勇気がいる。ええいままよと左の手でぬぐい、急いで洗面所で洗ったが、石鹸もない。手を存分に洗えたのは、バナーラスに着いてからだった。しかしいちいち気にするだけの余裕もなかった。シモのことはこの刹那、大した問題ではなかった。私にとっていかに無事にバナラースに着くか、そちらの方がよほど深刻だったのである。
 列車が来るまでプラットホームで待つしかあるまい。で行ってみて驚いた。人、人、人だ。皆ホームの床にぺったんこと座っている。中にはゴザを引いて堂々と寝ている奴もいる。まるで築地の魚市場でセリを待っている魚のようだ。もちろん魚はいない。魚の代わりに人間がいる。人間は老若男女様々だが、一応に薄汚れたナリをしている。それはそうだろう。綺麗なナリではこうして平然と座ってはいられまい。それにしても困った。私の居場所がない。人を踏まないようそろりそろりとよけて歩く。魚市場のブツはそろってじろじろと私を見る。何が面白い!みせもんじゃないわ!ようやくホームの一番端っこあたりにスペースが見つかったので、そこにどっかと腰を下ろした。郷に入ってはというやつだ。日本ではまずできない。座ってみて思ったのは、プラットホームは意外なほど綺麗であったことであった。座れるよう計らっているということか。しかし3時間はあっという間に過ぎた。列車がやってくる。すると魚市場のブツがぞろぞろ立ち上がって、我先にと乗り込む。殆んどの連中は二等車に行く。私はと言うと、一等車の切符を買っていた。ガイド本では二等車が楽しいがスリにあうこともあるとあったから、用心して一等を買ったのである。
 二等車のごった返しぶりとは対照的に、一等車は空いていた。リュックを下ろして、やれやれと席に腰を下ろしてほどなく、列車は走り出した。まだ昼前だというのに、すでにぐったりしてしまった。相当に緊張している。これではもたないと判ってはいたが、なにせ初海外、初インドなのだから無理もない。
 最初の停車駅に着くと、またどやどやと人が乗り降りする。1人の小綺麗なインド紳士が私の座っているところまでやってきた。
「ここ、空いているか」と言っているらしい。
「ああ、どうぞ」となりに置いていたリュックをどかして、足の下に置いた。アタマの上に置いて置き引きされたらたまらんと思ったからである。紳士は私の斜め右に座った。しばらくは互いに黙っていたが、やがて紳士の方から語りかけてきた。
「君は、チャイニーズか?」おやおや、さっき空港でも中国人と間違われた。
「いや、日本人です」
「ああ、そうか。日本のどこで?」
「東京です」さっきの会話を繰り返す。
「おお東京か。何でも手に入るって聞いたが」
「どうなんでしょう」
「いつここに?」
「昨日の晩です」私は一晩、空港で野宿し、今朝オートリキシャで駅まで来たと話した。
「そうかい。いくら払った?」
「○○ルピーです。最初はその倍、吹っ掛けられましたが」私が少々自慢げに言ってやると、紳士はおー、と目を丸くした。
「君。それは払い過ぎだよ。空港からなら、せいぜいその1/3で済む」
「はえ!?」
 私は目玉が飛び出そうなほどの衝撃を受けた。
「うまく騙されたね。まあ、最初の金額通りに払わなかった分、ましだったね」紳士は気の毒そうに語った。
「・・・・くそったれ・・・・」これは日本語である。
「くそったれくそったれくそったれくそったれ・・・・!」何度もくそったれとつぶやきながら、私は歯を思い切り噛みしめた。
 インドでの最初の講義は、バナーラスでのヒンディー語のそれではなかった、というわけである。