おうちに座って、独り言
このひと月ほど、集中して999ばかり聴いてきた。特にわが生涯で999の、これほどたくさんの作品を聴きまくったことはおそらくないであろう程に。かつてのように全身全霊夢中にというわけではなくどこか冷ややかな感情を持ってではあるが。ひと月前には思いもしなかった。この手の想定外はいいことだ。ということで、まだ999への余熱が残っているうちにもう1本書くことにしたい。ただの独り言。ざれ言である。工夫も何にもない。本音を言ってしまえば、999の人気が上がろうが上がるまいが、その作品がたやすく手に入って聴ければ私個人は事足れりとなるのだが、そうなると本稿はここで終わってしまう。仕方ないから無理に話を進めるのである。と言いつつ、今聴いているのはバズコックスの「シッティン・ラウンド・アット・ホーム」であるのだから、ちぐはくなのだが。
「変哲だが非凡なバンド―999」で記したのだが、999は一見メジャーな知名度なのに、これといったヒット曲―「ホムサイド」が全英40位に入ったが、それ位しかない―なり、ヒット・アルバムがない―。そのアンバランスさが、私には異様に思える。76年に結成[i]以来50年近く、ほぼコンスタントにライヴ活動を続け、レコードも2020年に新作を出している。オフィシャルなホームページもあって結構頻繁に情報を発信している。パンクの専門レーベルであるキャプテンオイ!は2018年から19年にかけて、バックカタログを集大成したボックスを2種類、つい最近全キャリアを俯瞰したしたベスト盤を出している。アメリカでも夏には編集盤が出ているようだし、ちょっと遡って2016年には発掘ライヴの4枚組CDも出ている。さらに遡れば、おそらく十指に余る作品が出ている。つまりたくさんの音源が公式発売されているのである。作品がコンスタントに出ている、という事は、それだけ需要があるという事である。999は今も現役バリバリであり、過去の作品や音源のアーカイブ化にも積極的である、アーカイブ化も頻繁になしうるだけの需要があるという、ある意味理想的な環境下で継続的に活動をしているバンドなのである。長きにわたって根強く支持しているファンも多い。何せ親衛隊が地元にいるくらいなのだ。加えて非公式のファン・サイトが、ニック・キャッシュに堂々とインタビューし配信しているほどなのである。[ii]これだけなら、もう立派にメジャーもメジャー、大メジャーなバンドである。
それなのに、彼等の一般的な知名度、一般的な人気は不釣り合いなほどに低い。今一つ、ブレイクしないのである。他のバンドなりアーティストなりのリリース状況はまるで判らないから比較できないけれども、これだけたくさんの音源が公にされているのなら、もう少し注目が集ってもよさそうなものではないかと、首をかしげたくなってしまう。
その要因はどこにあるのであろうか。おそらく、たくさんあるのであろうが、目につくのが、製作者側の問題。つまり、せっかく音源をリリースしてもその供給期間が非常に短く、流通量も少ないことが挙げられるだろう。先に挙げた4枚組のCDは、今や正規に流通していないようで、アマゾンを見ると、けっこうなお値段が付いており、しかも出品数も少ない。キャプテンオイ!のボックスも、特に初期の方(つまり77-80の方)はタワー・レコードなどを見ても殆んどストックがない。5年前や10年くらい前に出たCDはことごとく廃盤で、しかもアマゾンにもまず、引っ掛からない。「今は殆んどの音楽は配信になっているからね。CDはまず・・・・」と言われればそれまでであるが、それではこうした旧譜は気安く配信サービスが受けられるかとなると、殆んどが配信対象になっていない。配信されているのは、ごく初期のアルバム位で、近作はごく一部の楽曲だけのようである。どうしても包括的に聴きたいのなら、YouTubeに頼るしかなさそうである。しかも、そのYouTubeにしてもすべての音源がアップされているわけではない。これではせっかく貴重な音源も、数多いる一般の音楽ファンに聴かれることなく終わってしまう。製作者側のバランスシートに問題があるとするなら、自分達の需要供給への視点・体制づくりを抜本的に見直した方がようのではなかろうか。もう一つ挙げたいのが、マスコミ側の、バンドに対する扱いの粗末さである。この件に関してはあくまでも日本の中での話で、しかも業界にも現在のトレンドにも全く疎い、ド素人の独りよがりなジジイがほざくことなので説得力ゼロだが、いまだに「999はポップセンスのある、お気楽路線なロックンロール」で片づけられている。私が初めて999の記事を読んだ時からもう40年近くたっているが、まるで進歩がない。日本では999なんて「音楽評論」の対象としての価値を有さない存在でい続けているらしい。これでは人気が出ないのも当然であろう。マスコミに取り上げられない→人気が出ない→音源供給が止まる→好事家だけの慰み物となる→やがて好事家がいなくなれば、その音楽そのものが絶滅する・・・・というわけである。
もちろん、これは999だけに限ったことではない。程度の差こそあれ、供給側とマスコミ側のありようによって、アーティストの待遇、社会的地位、つまり人気に需要だが、それは劇的に好転もすればこけたりもするのである。
今、「新曲」が話題になりまくっているビートルズからしてそうである。そもそも日本でビートルズの人気が出たのは当時のシンコー・ミュージックの星加ルミ子氏や東芝音楽工業の高嶋弘之氏が、他の人間が見向きもしなかったビートルズを売ってやろうと奔走したのがきっかけだった。それが一般レベルに浸透していったのだ。もし星加氏や高嶋氏が動かなかったら、日本でのビートルズは一部の女子高生のマニアックな嗜好品で終わっていた可能性が大いにある。
ついでに999繋がりでもう1つ述べておこう。70年代当時、999はUAと契約し、日本ではキング・レコードが配給していたが、同じレーベルメイトでバズコックスとストラングラーズがいた。ストラングラーズの日本でのレコードはアルバムもシングルも本国に合わせて積極的に発売され、そのおかげもあって―それだけではないとは思うが―当時から日本での人気も高まり、79年初頭には早くも来日を果たした。一方999とバズコックスは、アルバムはきちんと発売されたが、シングルは999が「エマージェンシー」のみ、バズコックスに到っては1枚も発売されなかった。バズコックスのシングル曲を日本のリスナーがまっとうな形で聴けるようになるには、『シングルズ・ゴーイング・ステディ』の発売まで待たねばならなかった。999に関してはその手のベスト盤はまるで出なかった。その後今日までの999、バズコックスの日本での人気、さらには一般レベルでの注目度を見ると、さて如何なものであろうか。
話が飛んだところに逸れてしまった。999の話に戻ると、上にあげたレコード製作者側の対応、マスコミの対応に、疑問を投げかけたくなってくるのである。
本稿は、ただの素人の、勝手なたわ言である。しかし音楽のすそ野を、その土壌を少しでも豊かなものにしたいのなら、送り手側の丁寧な、アーティストへの配慮がもう少しあってもいいのではないか。それが思わぬところで大きな花を咲かせることだってあるのだ―たとえば来日。ビートルズだって、上記のような働きがあったから人気が沸騰し来日が実現したのだ。ここのところ災害続きであるのが気がかりだが、外タレがもっと積極的に日本に来てくれたら、日本経済の活性化にもつながるであろう。それだけではない。日本はポップ・カルチャーへの門戸を大きく開いている国だという認知を、諸国に与えることにもなるのではなかろうか。
[i] 77年結成としている文献が日本では多いが、999のオフィシャル・ホームページなどではわざわざ、76年12月5日結成と記してある。バンド側としてはこのあたりに相当なこだわりがあるものと見える。
[ii] これは非公式とは、最早言えないのではなかろうか。