裸でも生きる
最近、読んだ本で印象に残っている本がある。
山口絵理子さんの「裸でも生きる」という本
である。
彼女は、23歳で途上国でのブランド設立に興味をもち、腐敗した環境と裏切りの中で、
自分と葛藤しながら成長していった。
その中で彼女が疑問に思っていたこと、
「なぜ私は日本に生まれたのだろう?
スラム街に生まれていたら、どんな生活をしていたのだろうか?」
実際にスラム街を訪れ、衝撃を受けた彼女は、
「私だったら、まともに生活もできず、何をする気力さえ起きないかもしれない。また、何かを考えることすらできないのではないか。」
と述べている。
私もこの状態であれば、同じようなことを考えていただろう。
しかし、彼らにとってこの場所が生まれた場所であり、生活してきた場所なのである。
途上国で起業することは、予想以上に厳しく、
何度も裏切られて心がズタズタに
なっていった彼女。
それでも、「私は何のために生まれたのだろうか?私の使命は何か?」ということを考え、
前へ前へ進んでいく。
貧しさは変えたくてもそう簡単に変えられない現実であり、皆生きるために一生懸命である。
発展途上国のために、何かをしてあげたいと思って現地に赴いたとしても、様々な問題にぶつかり、何度もくじけそうになる。
そこで、気づくのは、自分には
もっていない「強さ」を
彼らがもっていることだと思う。
そんな状況にある彼らでさえ、自分で生きようと
必死になっているのに、たかがちっぽけな悩みで
悩んでいる自分が恥ずかしくなってくる。
私だったら、生まれてきた環境を攻め、
自暴自棄になっていると思う。
日本という恵まれた国にうまれ、
何不自由なく過ごしてきた私。
アフリカのために、苦しむ子どもたちのために、
何かできることはないだろうか?
そう考えることは簡単でも、
実際に行動にうつしていくことは
難しいと感じる。
▶︎考えた事
私たちが彼らの事を「かわいそう」と
思うのは、違うと考える。
今までは、私自身も「貧困で食べ物も
着るものもなくてかわいそうだから、
支援しないと!」と考えていた。
しかし、彼らにとっては日常なのだ。
「かわいそう」そう思ってしまうのは、
私たちが彼らより裕福な生活をしていて
彼らが苦しんでいると決めつけている
からだ。
もちろん、本当に苦しくて生きていくのが
難しい所もあるだろう。
しかし、彼らの価値観と私達の価値観は
違うのであって、私達が思っているより
彼らは大丈夫だったりするのではないか?
参考文献
山口絵理子(2007)「裸でも生きる」
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