変な大人たちに育てられた
こんなことを書いたら、また母から苦情の電話がかかってくるかもしれない。以前は、私の両親もネットを見ることもほとんどなかったから、好き勝手なことを書いて楽しんでた。今となったらfacebookには、私の家族親族、そして両親の友人までも幅広く繋がっている。だから、みんなに私が書いた赤裸々日記が読まれるようになったから、母からチェックされ、時折「も〜っ、あんなこと書いて恥ずかしいじゃないの〜」なんて苦情申し立てが入ることも。まあ、いいのだ。
さて、「変な大人たちに育てられた」というのはどういうことかと言うと、私の父はアーティスト。そして、母もそれなりに変だ。母は、きっと自分ではすごくお嬢様と思っていて自分が変だということには気づいていないと思う。姉も変だし、私も変で仕方ない。そう育てられたから。そして、変な人の周りにはやっぱりちょっと変わった人たちが集まってくる。
子どもの頃、そんな人たちが、週末になるとどこかの家に集まってはパーティなるものを開いていた。手作りの美味しい食事が山盛り並び、夜な夜な食べたり飲んだりしながら語り合っていた。私は、それが楽しくて仕方なかった。業種は様々。テレビ局で働く人、歯医者さん、サラリーマン、芸術家、ミュージシャン、モノづくりや音楽が大好きなたくさん居た記憶がある。大人たちが何の仕事をしているのかまではよく理解していなかったけどいつもそのパーティでは面白い話が飛び交っていた。私が質問をしても、変な大人からは変てこりんな返事しか返ってこない。特に歯医者さんはブラックユーモアに富み、おかしなことばかり教え込んでくる。私の辛辣ジョークの根源は、間違えなくこの人だと思っている。
私はとても恵まれていたのだと思う。今思うと、「勉強をしなさい」と両親から言われた記憶がない。おまけに変な大人たちは「勉強しないとあかんよ」と誰も言わなかった。だから勉強はあまりしなかったおかげで私はとても成績が悪かった。姉の名誉のためにも言っておくと、なぜか姉は勉強が普通にできていたし、言われなくても結構真面目に勉強していたような記憶がある。それを見て、私も勉強をしないといけないんだなと思い、一応机には向かい勉強するふりして、いつも手紙ばかり書いていた。手紙を書くことが大好きだったのだ。
昨年、仕事でお世話になっている東大の教授と話しをしていて、私がすごく成績が悪かったと言ったら、「嘘だろ、そんなはずはない」とまさかの先生から驚きの返答が!私は目がまん丸になった。お世辞を全く言わないその東大の教授からそんなお褒めの一言をいただくなんて、かつて私に2をいっぱいくれた中学高校の先生にドヤ顔で聞かせたいと思った。まあ、恐らく東大の教授の周りには私みたいなオバカな人間はあまり居ないだろうし、先生の想像していない発言をする私が先生には新鮮に映っただけなのだと思う。
勉強はできなかったけど、幼いころから変な大人たちに、いろいろなことを教えてもらった自由な発想、生きた話が学校の勉強にはない人生の勉強になり、特にフリーランスになってからそれがとても生きていると感じる。
そして、その文化は受け継がれ、私の息子も勉強はできないし、今はすごくアホやなあ....と思うけど、たくさんの変な大人たちが私の周りにもたくさん居て、その人たちが色々な話を息子に聞かせてくれている。愛を持って。きっと息子は今の時点ではよく分かっていないんだろうな...と思うけど、そのうち点と点が繋がってたくさんの線ができる時がくるだろうな。だから、私は何も心配していない。そして、この文化はこれからも引き継がれていくんだと思う。
変な大人バンザイ。これからの時代、きっと自由な発想を持てる人が生き残っていける時代へと突入すると私は確信している。
VIVA 変な大人
これからも変な大人が増産されていくべく働きかけていきたいと思っている次第です。