世界の中心で「助けて」と叫んでみた。
本日、じぶんにとって一番難しいことチャレンジ中。
それは
一人でカフェに行ってコーヒーを飲むこと。
でっかいピアスつける。
じぶんのペースで歩く。
イヤホンで好きな曲聴く。
一杯のコーヒーをただ味わう。
母ちゃんだから
子どもはかわいい
あたりまえ
だけど
母ちゃんだから
子どもがいると
全身全霊
母ちゃんしちゃう
(だから父ちゃんにも厳しくしちゃう)
それはとても
幸せなこと
だけど1時間でも
ただのじぶん
でいられたら
そうは言っても
コロナやし
まだ一歳半やし
そんな時
「愛ちゃん、わたし悠ちゃんと遊びたい。
1時間だけでもいいから、遊ばせて」
って
聖季子ねえちゃん。
反射的に思ったのは
「あかん、無理無理」
だって
コロナやし
ギャン泣きするし
申し訳ないやん
だけど
ふと思ったんです。
ギブネスの三原則
みっつめ
「困った時は、助けてって言う」
「助けて」って
その人を
信頼すること
その人の
愛を受け入れること
それは
もしかして
「愛してる」と
同じこと
だから
今わたしは本日
悠太郎を聖季子姉さんに預けて
コーヒーを飲んでいる。
ギブネスの三原則
ひとつめ
「じぶんにとって
最も価値のあることを提供する」
それは
質の良い仕事を無料でする
ということではなくて
(時にそれもしかり)
もしかして
じぶんにとって最も価値のあること
それって たぶん そう
じぶんにとって最も難しいこと
「子育てちゃんとしなきゃ」
「誰かにタダで子どもみてもらうなんてダメ」
「人に迷惑かけちゃいけない」
そうやって
ギュッとつかんできた思い込みを
ゆるっと手放してみた
そしたら
「助けて」は
「愛してる」になって放たれて
「愛されている」になって戻ってきた
じぶんにとって
最も難しいことの中に
最も美しいものが隠れてる
それは
お父さんにハグすることかも
お母さんに大好きっていうことかも
ずっと許せなかった誰かをゆるすことかも
一杯のコーヒーをただ味わうことかも
「難しい」の中に隠れてる
「美しい」を世界に晒すこと
それが
ギブネス
なのかも
世界の中心で
助けてと叫ぼう!
それは
「愛してる」になって
誰かに届き
「愛されてる」になって
あなたのもとにかえってくる
今日も
ありがとうね。
愛より愛こめ