「君たちはどう生きるか」 ~痛みを一時避難させてくれる場所について
先月末、スタジオジブリの新作、「君たちはどう生きるか」を観てきました。
私は職業柄、数秘における数のメッセージと物語を結び付けるようにして観てしまうのですが、
今回、この映画を観たあとに残ったのは、
夢とうつつ
の間(はざま)の感触です。
数のエネルギーに例えると
11
11は、「天とつながる直観」を表す数の要素です。
夢って、みている間はありありと臨場感があって、
手に汗にぎるし、感情も動くし、意味深で、
きっと大切だろうこのことを覚えていなくちゃ!
と心に誓うのですが、
起きるとすぐ淡雪のように溶けて実体がなくなってしまう。
無意識の領域の探索・冒険も、11の要素。
私は、11のキーワードに、「夢」を取り上げています。
夢の中で体験したことは、誰かと分かち合うのがすごく難しく、とってもパーソナルなのに、でも、生きるのに傷ついている人のための大切なメッセージを含んでいたりする。
映画でも、主人公・眞人は、母を亡くしたことに傷つき、
父の再婚、継母(母の妹)が弟を生むという事実に傷つき、
異質な環境に放り込まれたことにナイーブになっている。
現実の中に、どう身を置いていいのかがわからず、
こころを閉ざし、回避のために自傷してみせたりもする。
けっこうな出血量の。
痛みを回避するには、麻痺させるのが一つの手段。
映画の主人公・眞人は、こころの痛みを実際の傷の痛みで
おおいい隠そうとした。同時に、父や継母の関心を無意識に引こうとした。(これが「悪意」のひとつの側面?)
ただ、痛みを自らしっかり引き受けないと、
傷を受けた場所(トラウマ)から立ち上がれないのも事実。
ただ、直面する痛みに耐えられないほどの場合、
こころが壊れないようにする仕組みとして、
一時避難
という方法があるような気がしています。
一時避難して、その中で現実に耐えられるこころを取り戻すための ”異空間としての繭の中のような不思議な場所”。
夢の中の空間やストーリーは、現実世界からみると、
まるでシュールレアリスムなんだけど、
このシュールが大事なんです。
シュール=超(越)現実こそが、一瞬痛みを忘れさせてくれ
その中で自分を無意識の底から癒し、活気づかせ、
リアル=現実の中で生きる、自分を取り戻させてくれる。
これは、私の実体験でもあります。
この映画の「鳥」は、当然すごく大事なモチーフで、
アオサギも、ペリカンも、水辺の鳥。(ちなみにサギって、ペリカン目サギ科なんですね、どっちもペリカンの仲間なんだ!)
私は、ドリームセラピーとアートセラピーの生徒だった頃、
「風景構成法」という作画の中で、山や田畑のある風景の横に流れる川の中に、シラサギが立っている絵を描きました。
それを見て師匠が、
「水鳥は精神世界と現実世界を行ったり来たりする存在だねあなたはそうやって生きているんだね」
と示唆してくださったことを記憶しています。
鳥のモチーフじたい、「精神性」「飛翔」「あきらめ」
のシンボル。(吉田至叶人・ミラクルアートセラピーより)
私も世田谷時代、じっと南を見つめていたシラサギに導かれて、直観的に南へ引っ越した、ということがありました。
そこでの7年半の生活は、素晴らしい体験になりました。
お話を映画に戻しましょう。
やはり、映画の中の「アオサギ」は、
精神世界、無意識の世界への案内人にふさわしいのです。
「君たちはどう生きるか」と「精神性」に問いかけ、
こころの中に「飛翔」し、
悔いが残る母の死にひとつの区切りをつけて「あきらめ」、
けっしてやさしくない現実を、自分の足で生きていく。
宮崎駿さんの映画のストーリーからの様々な「しかけ」は、
まるで「怒れる哲学者」からのメッセージのようです。
次回は、今日の続き、「女性性」と「結界」について、
この映画と数秘からの考察を書いてみたいと思います。
数秘&禅タロット セラピスト tomoko
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