【ラテンアメリカ旅行 #21】🇧🇷バイーアの秘境の中で過ごす時間
今回はこれまでチャパダ・ディアマンティーナでのストーリーを投稿してきて、まだまだ紹介しきれていなかった場所やアクティビティがあったので、まとめて写真中心で載せていきたい。
チャパダ・ディアマンティーナのアクティビティ
● 滝の横にある天然プール
とある夕方、さくっと水浴びをしに行こうということで、車を停めて上流に向かって歩くこと30分、大きな岩を登って超えていくと滝が現れた。滝の横は流れが弱くプールになっている。水を浴びるのに最高な場所。
日頃からこの大自然の中で生活する近くの街の人たちが羨ましい。
● 川沿いの岩を登りながら滝に向かう
ここはトレイルではないが、滝がたくさんありそうだったので岩場を伝って上流へと進んでいった。ところどころスリルがあって楽しい。
● 平らな山と長い谷の眺め
ガタガタの坂をずっと登っていくと出てくる小さな村。街中には普通の乗用車が止まっているが、どうやって運転するのか不思議なくらいガタガタ揺れる。奥まで進みトレイルの入り口らしきものが見えたので停まると、毒蛇に注意の看板がある。
注意の通り、いかにも毒を持ってそうな赤い模様の蛇や、この下の写真の小さな蛇がたくさんいる。陽を遮るものがないので暑くて干からびている蛇もたくさんいた。そして僕たちも干からびそうになる。
● 山の麓で暮らす山岳ガイドとの出会い
ガイドがいないと道がわからなくて危なそうなルートなので、麓の街で人に聞き込みながらガイドを探す。
ようやく街のおじさんがガイドを知っているとことで、連れてこられたのは近所の仲間の息子。道は知っているが、経験は無いらしい。僕たちが必要なのはルート案内のみなので、あとは仲良く楽しく歩くだけ。
彼の登山靴は畑仕事用の長靴だったのは笑えた。
この街には医者がいないため、コロナワクチンの接種のため、隣町から医者がやってきて屋根の下で接種を受けている村民たちがいた。
ラファエルは昔履いていたというトレッキングシューズを履いてきたが、途中ソールが剥がれかかっていた。
流石にトレッキングシューズの必要性を理解し、その後トレッキングシューズを買ったようだ。ブラジル人の適当さ、ある意味素敵。
トレッキングが終わり、ラファエルの車でガイドを家まで送りにいくと、ガイドが家に招いてくれたのでお邪魔した。
農園が思ったよりも全然大きく広がっていて、家畜も飼っていた。家畜は放牧で牛が自分の周りを普通に歩いているし、鶏が家の中に入ってくる。
僕にとっては非現実的な生活。ここにもまた僕の知らない幸せがあった。
*ファリーニャとは大体のブラジルの食卓に並び、毎回フェジョアーダ(伝統豆料理)などに添えて食べるマンジョカ(芋)を荒目の粉状にして炒めて乾燥させたもの。パリパリする食感が特徴。これにバター、玉ねぎなどを加えて炒めたものをファロッファという。ブラジルにいるとファリーニャ、ファロッファ、フェジョアーダ、米の組み合わせはどこでも見る。
● 秘境の中の天然プールでチルアウト
ラファエルの友人の家がムクジェという街にあるということで、僕たちはムクジェに向かった。その友人、ジョアキム宅に数日間泊めてもらい、この日もまた、滝と天然プールの豪華セットに向かった。
● Cachoeira do Buracãoに向かう
ムクジェからイガトゥ方面に向かい、麓の街に到着し、街の人にCachoeira do Buracão(観光名所の一つの大きく深い滝)のガイドを紹介してもらう。
バイクに乗ってやってきたガイドはラファエルの車に乗り、かなりのオフロードを1時間半ほど進むとトレイルの入り口に辿り着いた。途中、道はかなり凸凹で、カラフルな毒蛇に何度か遭遇。ここまででも結構な冒険だった。
このガイドは実はかなり勉強家で近隣の自然環境や植物のことをよく知っていてかなりのエンタテイナー。
サボテンが音を鳴らす様子がこちら
このトレイルの大目玉は到着地点にあるが、不思議な植物はあるわ、滝が何度も出てくるわ、歩いているだけで十分すぎるほどの冒険となった。
歩くこと約2時間、大きな岩場に辿り着き、目の前には川が流れていた。
着替えて空気の入ったベストを着て、川の横の細い岩場を渡り歩くと目的地の滝の到着。
しばらくこの滝の辺りで水遊びをした後は、この川の流れに乗って着替えた場所まで戻っていく。この時もガイドが岩の上に回り込んで写真を撮ってくれていた。
異世界へと案内してもらった後は地元の食べ物をつまみながら、ガイドの家までお見送りして僕たちもムクジェへと戻った。人を楽しませることには努力を惜しまず、お金は二の次。きっと結果は後からついてくる。そんな気持ちが伺えるガイドとの時間は僕らにとっても忘れることのできない大切な時間となった。
その後、このガイドのお客さんが増えてきていて、彼の夢が実現されているようで今でも笑顔をもらっている。
チャパダ・ディアマンティーナ生活の終わり
● ブルマドの街に戻る
チャパダ・ディアマンティーナを1ヶ月近くラファエルに案内してもらい、人と繋げてもらって、ローカルの生活の中に入れてもらえて、こんなに最高な出会いと経験は全く期待していなかった。
当初2週間で移動しようと思っていたけど、彼らのご好意によってさらに素晴らしい機会をいただいたことには本当に感謝している。
ブルマドの街に戻り、アマゾン地方に向かうため隣町までバスで移動することになり、その中継地点の街の泊まる場所まで仲間に連絡して手配してくれた。
「ここまではなかなかできないよ」と思いつつ、「大切な仲間にはできること全てやってあげよう」と深く考える時間になった。大きな学びがあった土地、チャパダ・ディアマンティーナ。また成長した姿でみんなと再会できることを願っている。
最後に一曲紹介
ブラジルのJazzについてもう少し知りたかったので調べていると、ロウレンソ・ヘベチスという人に行き着いた。
下の映像は、ファースト・アルバム『O Corpo De Dentro』の制作中の様子でアートリンゼイのプロデュースだという。
このアーティストを知るきっかけになったサイトの紹介文を引用。
*アートリンゼイはアメリカ出身のギタリスト、歌手、プロデューサー、作曲家でDNAというノーウェイヴを代表するバンドに所属していたことでも有名。17歳までブラジルで過ごし、ブラジル音楽に影響を受けて、今はリオに住み、ブラジルの音楽に影響を与えている存在。
そしてこの曲、よく聴く曲だと思うが、アートリンゼイ『Simply Are』。
実は下の映像のLiveで左側にあの坂本龍一が参加している。
ちなみに上のアルバムを作成した時のアートリンゼイのインタビューも発見
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?