【葬送のフリーレン】テンプレ破壊のおもしろさ①
↓葬送のフリーレン
どうも、こんにちは。
ヒンメルがイケメンすぎて毎度困ってしまう者です。
あそこまで顔も性格もイケメンなやつおる……?すごすぎるよな。
マンガ大賞二次ノミネート、おめでとうございます!!!!
私はこのマンガが好きすぎて、期待しすぎて、この後の展開が楽しみすぎる状態です。
そしてアニメ化も、ほぼ間違いないと考えています。
……ということで、つまり、読者の諸君みんなで葬フリを盛り上げていこうな!!(?)
(略し方はこれでええんかなぁ……?)
さて、マンガ大賞に合わせて、前回と引き続き『葬送のフリーレン』について考えていきたいわけなのですが、今回は本作品の第一印象をお話しいたします。
なので、ネタバレはほとんどありませんし、まだ読んでいない方も
「どんなところがおもしろいんだろう?」
というのが、ざっと分かるかと思います。
といっても「主観」なので、ふわっと読んでくださいね?ふわわっと。
物語のテンプレ
さて、皆さんは「物語のテンプレ」について考えたことはありますでしょうか?
ここでいう「テンプレ」とは、よくある物語の構造を意味します。
テンプレとまでは行かなくとも、「物語あるある」みたいなものは感じ取っているかと思います。
たとえば最近ですと、「異世界転生」は確固たるテンプレになってきているのではないでしょうか。
ウラジーミル・プロップという昔話研究家は、昔話に「ある特有の構造」があることに気付きました。
著書『昔話の形態学』では「昔話はだいたい31の項目、7つの役割から構成されがちだよね〜」と述べています。
もちろん、こんなフランクな口調ではないです。
『昔話の形態学』はおもしろい本なのですが、手に入れるのがめちゃくちゃ難しいですし、非常に高価なので、図書館などで探してみるといいかもしれません。
昔話がそうであるならば、ラノベやマンガにだってある程度の構造はあるはずです。
異世界転生系の物語にも「主人公は最初から強い」という要素がありがちですよね。
そういうことです。
魔王を倒す勇者の構造
昔話でも、ゲームやマンガでも、「魔王を倒しに行く勇者」の構造はよく目にしますよね。
「勇者が何らかのきっかけから冒険することになり、仲間を集めながら魔王の城へ向かい、魔王を倒す」
あるあるです。
そして、この構造には元来から、ある要素がありました。
「現在形で語られること」です。
勇者が魔王を倒しに行くのは、そりゃ物語のメインなのですから、現在形で語る方が迫力があって良い感じですよね。
そして、普通の物語であれば、勇者が魔王を倒しに行って、すこしエピローグがあって、話が終了します。
めでたしめでたし。
『葬送のフリーレン』の構造
ところがどっこい、『葬送のフリーレン』は違います。
魔王が勇者を倒す構造がテンプレになっているのだから、その構造を前提とした後日譚を描こうぜ!
というのが、『葬送のフリーレン』の簡単な物語です。
第1話の扉絵にも、こう書かれています。
魔王を倒した勇者一行の
"その後"──
英雄たちの "生き様"を物語る
後日譚ファンタジー
めちゃくちゃ美しいフレーズよね。
また、第7話の扉絵にはこう書かれています。
魔王を倒した後、
勇者の仲間だった
魔法使いの物語。
ずっと、
エンディングが
続いているような
物語。
「エンディングが続いているような物語」って、めちゃくちゃ美しい言葉選びだよなぁ……。
ひとつ残念なのが、コミックス版にはこのコピーが書かれていないことなんですよね。
このフレーズまで含め葬フリの魅力だと思うので、そこは非常に残念なところです。
とはいえ、作品を読んでいく中でも、この構造による物語の趣深さが自然とわかります。
それは端的に言えば「エモい」に尽きます。エモエモのエモです。便利な言葉ですね。
詳しくは本作をチェック!!
というか、どこまで行ってもエモいので、具体的な場面とかないです。
魔王が倒された後日譚だからこそ描くことができる、世界の平和、勇者の生涯、戦乱の懐古。
この作品は、そういった点で、ファンタジーでありながら人間味を深く感じさせてくれます。
この「人間味」というところが、私は好きでたまりません。
世界を救う勇者がいたとするとき、その裏で紡がれる人間の生活というのは、まったく目立ちませんが、とてもあたたかいものなのかもしれませんね。
この作品は、魔王を倒す勇者の構造でありながら、その中で目立たないながらも、非常に情緒深い人間のストーリーに焦点を当てた、美しい作品だと言えるでしょう。
ところで、ヒンメル顔も性格も良すぎません?
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