見出し画像

【フィンランド交換留学】Day95 2022/11/24 Thu. (今振り返っても充実していた日)

2022/11/24 
ルーマニアの2日目。シナヤ(Sinaia)へ行く。ルーマニアの中心に位置する、ブカレストから電車で一時間半ほどで行くことが出来る。

朝6時頃に友達が迎えに来てくれた。ホテルを出て待っていたらおそらく怪しい人が4回ほど私の前をうろうろし行ったり来たりしていた。少しこわくなってホテルに戻った。

ブカレストのおそらく北駅(Gara de Nord)から乗った。全体的に古い電車だった。シナイアに行く間の電車内では、私達は聞かれなかったが、前の座席の乗車客のテーブル上に物をガサガサッと置いて物を売っている人がいた。

シナヤ駅についた。そこで、友人がトイレを済ませていった方が良いというので行ったが、駅構内のトイレに入ると、おばさん2人がたばこを吸いながら会話をしていた。その二人にお金を払ってトイレに入った。観光スポットに行く前のこの時点で、初めて見るもの、経験することの連続だった。

帰りの際、反対側のホームへ移動するために横の階段を使わず線路内を渡っている人がいた。
私達もそうした。日本ではできないレアな経験だった。

シナヤ駅を出て、急な坂と階段を上がった。もう山・森の中という感じで、ひんやりした。観光客のような人は数人いたが、ルーマニア人もいた。(見た目だけでは判断できないが、話していた言語を聞く限りそうだと思う。)
友達とパン屋に入り、クロワッサン(イチゴ味とチョコレート味)を買った。フィンランドでは最初の1ヶ月ほどスーパーのクロワッサンに食事を支えられていたが、もうフィンランドのクロワッサンを食べれないな、と思うくらい、ルーマニアのクロワッサンは美味しかった。(フィンランドももちろん美味しいが、今まで食べた中で一番クロワッサンのルーマニアにはかなわないと思う。)
そういえば、一つ前の日記に書き忘れたが、出店でパンを買った。パンプキンの入ったパイのようなパン、そしてチーズが入ったパン。パン屋はいろんな場所にあり気軽に食べれるようだった。そして値段を細かく覚えていないが、ボリュームがあるのにかなり安く、100円以内で驚いた記憶があるような(ないような)。

多くの場所に行ったのでまとめて書くようにする。

・シナイア僧院。14世紀に建国されたワラキア公国(現在のブカレストの位置。)のMihai Cantacuzino (ワラキア公)が17世紀に訪れた記念として建てられた。山の中にあるので静か。日記をすぐに書くことの重要性を改めて感じるが、写真が一枚も残っていないので(写真撮影禁止)、鮮明に思い出せない。1695年に完成したそう。

僧院へ行く途中。ブカレストと違い車も少ない。
人自体が少ないが、若い人もいなさそう。住みたいと思った。

・ペレシュ城 (Peles Castle) 
ルーマニアで最も壮観な城として知られる。初代ルーマニア国王のカロル1世(ドイツ出身)がシナヤを気に入ったことで、1875年からルーマニア王室の離宮としてつくられた。完成には8年かかり、さらに現在の城になったのは1914年。武器等の展示もあり日本の物もあった。ドイツ・ルネサンス様式の建築。部屋数は160室あり、中にはトルコ、スペイン、イタリアといった他国の様式を取り入れている。48年もの長期にわたってルーマニア公、ルーマニア国王として在位し、ルーマニアの経済発展に力をいれたようだ。
第一次世界大戦前に、カロル1世らのペレシュ城での会議の結果、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリアとの三国同盟に入らず中立の立場でいる事が決定した。しかし1914年にカロル1世は亡くなり、ルーマニアは連合国側として第一次世界大戦に参加した。
展示の説明文は英、ルーマニア、ドイツ、フランス、イタリア語で書かれていた。様々な国の文化が合わさっている。
確か4階以上まではいかない、1階~3階までまわれるチケットを買った。(それほど高すぎない。)全部まわらなくても十分だと感じるほど大きいお城で、全てが洗練されていた。

観光客もいる。
3階からの眺め。
食事する場所。

・ぺリショール城 (Pelisor Castle)
ペレシュ城から歩いて10分程度のところにある城。カロル1世の命令により、カロル一世の甥夫婦であるフェルディナンド1世とマリア王妃のためにつくられた。99部屋ある。この城もみるものが多すぎたが、特に、金の寝室が印象的だった。マリア王妃の出身はアイルランドであり、マリア王妃によってデザインされた寝室であり、全てが金箔だった。アイルランドの紋章にあるアザミの葉っぱが装飾されていた。
ちなみに、この城で4人の子どもが育ち、一人はフェルディナンド1世を継いだカロル2世、そして長女はユーゴスラビアの王妃に、次女はギリシアの王妃となったそうだ。
家庭教師の住む部屋まであった。
これら2つの城は山の中にあり非常に静かだったが、人も訪れたと思うが、どれくらい賑やかだったのか気になった。家族やお手伝いの人や家庭教師だけだったならば静かすぎると思った。

なぜかぺリショール城での写真が1枚もないため、ペレシュ城の写真を。
娯楽用の部屋。

・帰り道にはヌガを食べた。ルーマニア人の友人は小さい頃からよく食べてきた懐かしのお菓子だそう。もなかの外側の部分に、中は綿あめを凝縮したような甘いものが入っていた。

・レストラン
お昼を食べた。またしても非常に美味しかった。スープと魚とママリガを食べた。日本の親友(以前までの日記に何度も登場したが、小さい頃からスポーツ選手として世界を飛び回っているので海外経験が豊富な友達。)に写真を送ったところ、「東欧の料理は茶色っぽいね~」と返信が帰ってきて、友達の海外経験はやっぱりすごいなと思うと同時に、そういう知識があるのはやっぱりかっこ良いなと思い、目指そうと思った。

美味しい。日本人にはちょうど良い味の濃さ。
水は有料だということを知らず頼んでしまい、少し損した。
人は少なかったが、休日ならばもっと混雑しそう。
観光客用のお店だった。

・ホットワイン
その後、カフェで(外にあるジュラシックワールドで出て来る乗り物みたいな球状の部屋に入った。)友達とゆっくり話した。本当に優しくて穏やかで頭が良い友達だった。カフェでホットワインとマカロンを食べている間には周りには野良犬がうろうろしていた。少し酔ったような気がした。(やはりワインは強い・・)フィンランドよりは物価が安かったが日本と同じくらいかもしれない。

いきなり日本のカフェのような感じ?

夜20時半頃にはブカレストの駅に戻った。そこでマクドナルドへ行った。(店内は大きく、また人が多かった。) 写真を撮ってはいけないとあった。そして、Take outにしてホテルで食べた。値段も味も大きさも日本と同じくらいだった。(この時点でフィンランド・ヘルシンキ、フィンランド・ラップランド、スウェーデン・ストックホルム、スウェーデン・ゴットランド、デンマーク、そしてルーマニアの5つのマクドナルドに訪れた。)

友達がホテルまで送ってくれた。ホテルに着くまでの間には次の日のヨーグルトを買った。そこで、水しか出ないシャワーと開いたままになった窓の相談をした。すると、お湯が出た。そして窓もなおった。
そして友達と別れてから、シャワーを浴びようとしたが、微妙に冷たい水だったので、少しだけ浴びてすぐに出た。夜はゆっくり眠れた。

今こうして日記を書いているとまたルーマニアに行きたくなってきた。そして今思い出しても飽きることが無かったルーマニア旅行だったと思う。(なお、まだ終わりではない。)

Romani on minulle hyvin uusi ja pidän siitä. (Romani is very new to me and I like it. 私にとってルーマニアは新しい。好きになった。)

そして今日の1曲はArctic monkeysのMardy Bum。特にこの曲は日記内容と何も関係ない。エレキギターにトライしたくなる。





いいなと思ったら応援しよう!