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井之頭五郎に感じる「深い学び」
人気ドラマ「孤独のグルメ」が映画化されるらしい。私もこのドラマの大ファンで、もう飽きるほど見ているが、全く飽きることがない。主演の松重豊さんは、シリーズが始まった当初、「ただ、おっさんが飯を食っているだけのドラマがウケるはずがない」と思ったそうだが、今では堂々の日本を代表するドラマとなり、韓国や台湾でも人気を博しているそうだ。私の知り合いのアメリカ人(彼は日本語を解さない)も「セリフがわからなくても、楽しめるし、彼(=松重さん)の表情の演技が素晴らしい」と絶賛している。
このドラマの魅力については方々で語られているが、私は、松重さん演じる井之頭五郎の「選択にまつわる葛藤」が私たちを惹きつけるのだと思っている。五郎の「選択」は店選びから始まる。自分は何を食べたいのか、今、どんな気分なのか(「中華って感じじゃないな~」「せっかくここにきたんだから・・・」)について自身と対話をしながら店にあたりを付けていく。そして、ここが非常に大切なポイントなのだが、井之頭五郎は絶対にスマホで店を検索しない。彼は携帯電話を持っていないわけではない。よく、クライエントと電話で話しをしているし、飛行機の時刻を調べたりもしていた。しかし、店やメニューを検索しているのは見たことがない。五郎が街にあふれる「自称グルメな人」との決定的な違いは、自分の五感だけを信じて美味しいものを探すところにある。
外観や看板などから、短時間だが悩みぬいて店を選んだ五郎は、次はメニューの選択に葛藤する。五郎が選ぶ店のメニューには、たいてい料理の写真は載っていない。手がかりは料理の名前、店の人のおすすめ、そして周りの客が食べている料理、という「一次情報」である。思ったよりボリュームがあるものが出てきたり、食べ方がわからないものが出てくることもあるが、それも偶然の出会いとして楽しむのが五郎流だ。大げさな言い方だが、一人で悩み一人で決めたのだから選択の責任は自分一人にある、食事の時間を幸福なものにしようとベストを尽くした結果は粛々と受けとめる、そんな覚悟を感じる時さえある。
ドラマではいつも美味しい食事にありつく五郎だが、過去には何度も選択に失敗したことがあるのではないか、と思う。自分に合うやり方、そして本物を見抜く目を見に付けるには、主体的に挑戦し、試行錯誤を繰り返すしかない。スマホを見て評価の星や口コミを見て他人の経験をなぞり、失敗を避ける---コスパやタイパはいいかもしれないが学びは深まらないし、感性は磨かれない。何より、自分自身でやり遂げた満足感や楽しみは減ってしまうだろう。毎回、たらふくたいらげてご満悦の五郎の顔を見て、そう感じる。あ、もちろん、まずは難しいことは脇において「おいしそう、いいなあ~」と思うんですけど。