日常の中の「きらめくもの」を撮る
写真を撮るということ
写真を撮るのは息をするのと同じことで、暮らしを楽しむツールのひとつでもあり、世界とつながるひとつのタッチポイントでもあります。と同時に、視覚を共有することで他者とつながるとても大切な手段のひとつでもあります。
私が写真を撮り始めたのは、20年くらい前。最初は家族や友達など身近な人とどこかに行って、きれいな場所を撮り、写真を見て感じる「きれいだね」という感情を共有したかったんです。
同じ景色を見て「きれいだね」と言っても、感性は人によって違うから、見ている「きれい」は違うものなんじゃないかなと思っています。だから、自分の目に映ったものを写真という物質でリアルに共有し、「私にはこう見えてるよ」って伝えたい。
同じものを見て感じることで会話が生まれ、他者への興味関心が湧く。写真はひとつのきっかけにすぎなくて、撮った後に生まれるコミュニケーションが私にとっては大事なんだと思います。
撮りたいのは暮らしの中にある「きらめき」
これは私のプロフィールに書いている言葉ですが、私が撮りたいのは特別な何かや特別な場所ではなく、毎日の暮らしのなかにある「きらめき」です。
このテーマに出会ったのは、大学職員として働いていたとき。仕事はとても好きで楽しく働いていましたが、ある日、仕事がめちゃくちゃ忙しくて残業続きになったことがありました。
仕事を終えて外に出たら水たまりがあって、「あ、今日は雨が降ったんだ」と気づいたんです。窓のある部屋で働いているので、雨が降れば気づくはずなのに、気づかなかったことにその日はなぜかショックを受けました。
そういう日常の小さな変化に気づけないのって、何かちょっと違う気がする。そう思ったんです。私は日々の中にある小さな変化に気づきたいし、「今ここにいる」実感を十分に感じたい。忙しさに紛れて、時間や物事が知らぬ間に通り過ぎるような人生は違うと思いました。
だから、日常の小さな出来事をたしかに感じ取り、暮らしのなかのわずかなきらめきに出会った瞬間を逃さず写真に撮りたい、そう思うようになったんです。
何もない日常がきらめく世界に変わるとき
「今ここにいる」実感や「きらめく瞬間」を意識するようになると、目に映る景色が変わりました。感性を研ぎ澄ませて見る世界は、とても繊細で鮮やか。慣れ親しんだ場所でも、季節が変わったり、見る角度を変えたりすると、見えるものが変わります。小さな発見と感動の連続なんです。
写真教室でも「よく見る」ことを話しますが、みなさん難しいと言います。わかります、そうですよね。それを変えるには「何もない」というマインドを変えることからおすすめしています。見慣れている風景だから「何もない」と思いがちですが、「何かある」と思いながら見るんです。
いつもより歩く速度を落としたり、ときどき立ち止まったりして。最初はまず目に入ってくるものを見ます。光がきれいだったら、どの方向から差しているのがいちばんきれいかな、とか。
ものの見え方はたくさんあって、ただ通り過ぎたら1か所しか目に入りませんが、立ち止まってぐるりとあちこちの角度から見ると、いろんな可能性があることに気づきます。私は15分ぐらい立ち止まることもあれば、気づくと1時間が経っていることもあります。
5月のある日、いつもの場所を歩いていたら早咲きのチューリップが咲いていました。札幌の5月前半はチューリップが咲くには時期的にまだ早いんです。「枯れ草の中で、チューリップががんばって咲いてる!」と買い物用のバッグからカメラを取り出し、写真を撮り始めました。
きっと小さなことに気づきたい気持ちがなかったら、「へー、早咲きのチューリップかぁ」とただ通り過ぎていたところですが、私は気づけたことにも、ほかの草がまだ枯れている中で咲くチューリップという存在にも、うれしくなってしまったんです。
しゃがみこんで、いろんな角度から眺めたら、春の光の中で咲く様子がけなげで。がんばって咲いている感じもすごくよくて、そこだけ光が当たって浮き出て見えたんです。だから、葉や花の透け感を引き気味で撮りました。ぽつんと咲く様子に「きゅん」として。
ちなみに、夢中でパシャパシャ撮っていたら、ご近所の方に「大丈夫ですか? 具合が悪いんですか?」と声をかけられました。外でじっとしゃがみこんでいたので、心配してくださったんです……ははは。そんなこともあります(笑)。
写真がうまくなるにはたくさんの写真を見ること
写真がうまくなるにはいくつかコツがありますが、まずは日常をよく見ることと、たくさんの写真を見ることです。数を見れば目が肥えるという話もありますが、わかりやすくするために、つけ麺の話をしますね。
夫がつけ麺を好きで、よく一緒に食べ歩きをするんです。私はつけ麺に特に興味がなかったのですが、色々食べていたら好き嫌いが出てきて、自分の中のジャッジができてきたんです。
好きなのは、麺は太くてコシのあるもの。食べるときはあつもり派(※つけ麺の麺は普通冷たいのですが、麺を温かくして熱いスープにつけて食べることを「あつもり」と言います)。スープはかつおだしで、魚粉ありが好き。逆に嫌いなのは、脂の強いもの……とか。
写真も同じです。いろんな写真を見ることで、好き嫌いが明確になり、自分が好きな撮影対象、角度、光、色の感覚がわかるようになってきます。好きなものが定まると写真を撮る自分なりの視点ができるので、撮り方も変わってきて、味のある写真が撮れるようになるんです。
写真の技術的なことはいくらでも磨けますが、人と違う写真を撮りたい思いを形にするには、その人ならではの視点がないとできません。
だから、写真がうまくなりたい人は、写真展や写真集、SNSの写真でもいい、とにかくたくさん見てほしいです。対象物をよく見て、自分なりの好きと嫌いの基準を見つけることが、写真がうまくなるいちばんのコツです。私はそれをつけ麺で改めて実感しました(笑)。
撮影を続けることで進化する
「私には世界がこう見えてるよ」という視覚を共有することで生まれるコミュニケーションが好きで、私は写真を撮り続けていますが、思わず心惹かれるのは、光。
いつもと同じ道を歩いていても、季節や時間帯によって影や光の差し方が違います。繰り返す日々の中にも違いを撮れるのが写真の楽しいところで、自分の見方次第で幾通りもの景色が撮れます。同じ景色の中でどれだけ違いを見つけられるか。それが日常を撮るということです。私は光の具合で変化を見ているので、毎日同じ場所で違う写真を撮れるのです。
この間、プライベートな撮影で広島に行ったんです。当たり前ですが北海道とは街の雰囲気が全然違って、また撮影に行きたいなあって思いました。
古くて狭い路地がたくさんあって、路地に差し込む光、路地裏ににじみ出る人の暮らし、人が長く暮らすことでできる傷や錆(さび)、家の植え込みから浮かび上がる生活の様子など、時間の経過が作り出す誰かの日常にときめきましたし、萌えました。
こんなふうに旅行に出かけると、新しい景色は目が慣れていないのですべてが新鮮で、たくさんの写真が撮れます。写真教室の生徒さんからよく聞く、「旅行では写真が撮れるけど、日常で撮れません」というのは、目に映る景色を見ているようで見ていないからなんです。
自分の身近な暮らしのなかで写真を撮り始め、「今ここにいる」ことを写真を通じて感じ続けた結果、感性を鋭くして日常を見つめる目を持つことができました。いわゆる「マインドフルネス」を私は写真を通じて実現しているのかもしれません。
暮らしのなかでもっと自分らしい写真を撮りたい方は、ぜひ「今ここにいること」を意識して、同じ景色の中にある違いを探してみてください。そこからまた新たな写真の楽しさに出会えるはずです。